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実は様々な経歴を持った人が集まるのがタクシー業界です。隠れた才能や経験を実務に活かしている方、柔軟な働き方を利用しプライベートを充実させている方・・・
タクシーサイトはそんな乗務員さんたちにイロイロお聞きし、個人の持つ意外な一面や魅力をご紹介します!
タクシー乗務員というお仕事がもっと身近に、自分に合った働き方を見つけられるかもしれません!
公開日:2024年1月16日
トップページ>特集>タクシー乗務員さんにイロイロ聞いてみよう!>イキイキ女性乗務員
取材日:2023年10月
丸8年経ちました。前職がスーパーの従業員だったのですが、朝早い勤務になってしまったので退職しました。その後ホテルで開催されていたお仕事説明会に行った際、道南ハイヤーのブースを見つけお話を聞いて応募したのがきっかけです。若いころに運転代行やピザの配達をやっていたので運転には慣れており、地理的には問題ないと思っていました。
前職は自分が休むと、他の人が補充してからじゃないと休めない雰囲気の職場だったので…急遽の場合でも休みやすい職場がいいなと思っていました。
当時まだ子供が小さかった頃、具合が悪くなったときは、仕事中でも学校に迎えに行けたので良かったと思います。自分がお客様を送迎中じゃないときは、すぐ子供を迎えに行って病院に連れていけました。
もう一つの他のタクシー会社と迷ったのですが、うちからも近いし、お話ししてくれた方の印象で決めました。
私はあまり待機せず、流しが主流です。曜日によってはホテルなどの待機場所や、平日のスーパーなどで待つこともあります。 また観光時期になると、一気にアプリ注文が増えて忙しくなりますね。嬉しい悲鳴です(^^)
女性乗務員は私含めて8人います。出勤時間は人によってバラバラです。タイムカードもありません。基本的には日勤は8時間ですが、歩合制なので自分の采配で早めに帰社することもあります。はじめは隔勤でやろうかなと思っていましたが、慣れるまで日勤をやっているうちにこちらの方がいいなと思って今でもそのまま働いています。
なので日勤勤務の私の場合は出社が8時位、帰社は17時前後です。
忙しいときは私の判断で、19時位まで頑張ったりします(^^)
帰社後は車庫で洗車・売上計算をして、帰宅します。
早退とかしても別にとがめられることなく、自由にやらせてもらっていますよ。
会社から出てしまえば自分一人なので、煩わしい人間関係がないのがないのは楽ですね。男性が多いことで女性同士のあれこれがないのはいいと思います。
これだけの人数がいますが、男女関係なくみんな仲はいいですよ(^^)
会社から戻ってきたときも、毎日同じ人と顔を合わせるわけではないですしね。
私はありません。日勤だからでしょうか?たまに朝方まで働かれている方をお乗せすることはありますが、そういうことが起きていないことが長く続く秘訣かもしれませんね。
普段できない買い物をまとめてしたり、料理の作り置きをしたりしています。映画を見に行ったりもしますよ。
どうしても運動不足になるので、できるときは犬の散歩に行きます。私の唯一の癒しは犬です(笑)。本当はもっと運動したほうがいいのでしょうが、なかなか難しいですね。
いくつか言葉を交わしてみて「この方はお話好きだな」と思ったらおしゃべりをしていきますが、そうではないタイプの方もいるので、それを見極めることです。すごく話したがるおばあちゃんも多いですので、そういう方とは世間話しながら行きますよ。
特にやめようとは思いません。身体を維持できるのであれば、一般的にもけっこう長く働ける職種ですしね。
体力的にきつくなっていくなかで、あと10年、15年働くにあたり「転職したいが、長く働きたい」という方でしょうか。
営業などをやっていた方は接客の面でスムーズにいくような気がします。そういう方はお客様に対してやさしいですからね。お客様としては嫌な気持ちで降りて帰られたら「次はここの会社に乗りたくない」と思われるでしょうし。
埼玉からのお客様で、いままで4回、旅行で来るたびに前もって連絡をくださり指名を頂いています。1回目はご夫婦、次はお孫さんを連れて、3回目は娘さん夫婦と一緒に来函していただき、2~3日間ずっとその方と一緒に楽しく観光しています。(^^)
来函時には、私にお土産まで持ってきて頂いたりするので、とても嬉しいです。
何回か雪道に埋まったことでしょうか(笑)。お迎えに行く途中動けなくなり、一生懸命自分でスコップで頑張りましたが、ダメな場合は誰かに助けに来てもらわなければなりませんでした。
常に仲間が近くを走行していたりするので、トラブルが生じた時はほんと心強いですよ。
タクシーは坂に弱いので、ここは良くないと思ったら、多少遠回りをしなければいけない場合もあります。これからそのシーズンが来ますね(笑)。
スタッドレスを装着し、トランクに「埋まったとき用」に長靴とスコップ、人によっては(タイヤの下に敷く)スノーヘルパーを積んでいる人もいます。すぐ助けに来てくれる街中だったらいいのですが、無理そうなところには極力入らないことを心がけます。
自分の自由に働かせてくれるところが、長く勤められた理由の一つですし、コロナになってお客さんが減ったときには転職しようかと思ったこともありましたが、なんとか残ることができて今は良かったと思っています。頑張った分だけ自分のお給料に反映されるので、やりがいがあると思います。
素朴でさっぱりとした人柄がとても印象的な吉田さん。
女性も男性と同じように平等であり、柔軟な働き方ができることで、安定した生活が送れるタクシー乗務員というピッタリの職を手にされたのも納得です!
トップページ>特集>タクシー乗務員さんにイロイロ聞いてみよう!>親子で協力!乗務員
取材日:2023年10月
インタビュー中も仲の良さが伝わってきた、生方さん親子。
これからも粛々とタクシーの乗務を続けて生きたいとおっしゃった口調には乗務員としての誇りを感じました。
トップページ>特集>タクシー乗務員さんにイロイロ聞いてみよう!>段ボールアーティスト兼乗務員
取材日:2023年11月
入社したのは2022年9月なので1年ちょっとになります。
本業がダンボールの資材調達やアーティスト活動などをしておりまして、生産者さんや作り手さんを訪ねて全国を車で転々としながらお仕事をしてきました。
その中でいろいろな地域コミュニティと関わるうちに、各地を転々とするより、1~2年くらいの中長期のスパンでもう少しじっくり地域のコミュニティに関わりたいと思った時に、移動や滞在にかかるコストなどを含めて、これをなにかしらお金にできたらなと思ったのがはじまりでした。
佐世保におしゃれなダイニングバルがあったり、YouTuberが活動していたりして盛り上がりつつあるエリアがあるんですけど、そこでカフェとホテルを立ち上げ奮闘している知人がいまして、彼を訪ねて来訪したときに、「ちょっと腰を据えてどこかの地域に関わりたいんだよね」と相談したところ、「ぜひ佐世保に来てくれ」ということで、元々彼とつながりのあった弊社の社長を紹介してくださいました。
また、僕はダンボールのパッケージデザインもやっているので、ブルーキャブのブランドデザインをやっている「長場雄」さんというイラストレーターのことはもちろん知っていて。
そのイラストがラッピングされているタクシーが走っているだけでも僕の中では胸アツだったのと、そのタクシーのドライバーになりたいというのが僕の中にあって、ぜひ働かせてもらいたいなと。
僕は岡山県出身なんですが、岡山で3~4回ぐらい試験受けたんですがなかなか受からなくて、引越しのタイミングに間に合わず、佐世保に移住してから3回目ぐらいでなんとか受かったという感じです。
20年くらいの自分の運転の癖もついていて、安全確認の正しい方法など改めて勉強になりましたし、すんなり簡単に取れるより、タクシードライバーになるという心構えを身につける上でもとても大事な期間だったかなと思っています。
そうです。元々知人のホテルのお客さまのアテンドをする目的もあったので。
移住してから入社直後ぐらいに観光コンベンション協会主催の『「海風の国」観光マイスター』の試験がありまして、「受けてみませんか?」と会社から言われて。
免許を取るのと並行して、ガイドのテスト勉強もしながら観光マイスターのシルバーの資格を取得しました。
日勤で営業していて、観光の貸切がない時は通常の流しをしています。
日勤にしたのは、地元の人と関わりたいというのが僕の希望でもあったのと、観光のお客さまを案内する際にも、地元の人たちから得られる情報や、その地域の土地柄や人柄も含めてお客さまに知っていただきたくて。
あと移住者目線での佐世保ってどういうところ?みたいな事をお話しすることも多いので、通常の流しの運行で地元の方とのコミュニケーションが僕にとってプラスになっています。
所定は15日ですが、月半分は岡山に帰ったり、仕事があると東京まで出て行ったりしますので、休みを取ってだいたい10日~15日くらいです。
なので現在はパート勤務で給与は時給になっています。
9時に出社して点呼を行い、準備でき次第スタートして17時位に帰ってきて、洗車などして18時にタイムカードを押すという感じです。
基本、流しの方が多い感じです。観光は僕が佐世保にいない時にも結構来ていたりもするのですが、佐世保にいる間に予約が入っている時は、なるべく回していただいています。
あと、観光コンベンション協会が主催企画している「ガキの使いやあらへんで!」の”ガースー”プロデューサーでお馴染みの、佐世保出身の菅さんにプロデュースしてもらったツアーがありまして、「タクシードライバーなのに、街歩きをする」というツアーを作りまして(笑)。
ある程度街の雰囲気を知ってもらって仲良くなったところで、ブルーキャブが用意しているタクシー観光をオプションでご利用いただくという流れのものをやっています。
本職でも地域のコミュニティと関わることが多かったので、近隣のコミュニティと、佐世保のコミュニティをタクシーでつなぐ視察ツアーやそこで活躍されている方の紹介が出来ています。
最近はタクシードライバー移住みたいな募集もありますが、流しだけで売上をあげるのはなかなか難しいと感じています。
生活に必要な移動手段としての運行に加えて、まちづくりや観光、視察ツアーの造成・アテンドなどで関係人口を増やしつつ、別のところで地域のお役に立ちながら、売上をあげる方が僕に出来る方法かなと感じています。
今、地域おこし協力隊として各地域にいろんな人たちが入っていると思いますが、地方の二次交通や観光案内を行うコミュニティタクシーみたいなものが、地方での働き方のロールモデルになればいいなと思いながらやっています。
次の日に仕事が入っている時はお酒を控えておくとか、遅くならないように帰っています。
あとやっぱり体を動かすことが少ないので、できるだけ乗りっぱなしではなく休憩時間は降りて体を動かしたりしています。ドライバーと一緒に展望台などに少し歩いてみるツアーも作ったりしました。
タクシードライバーを意識し始めたのは、自分の作品展が終わった後でした。
動画配信サイトで「オッドタクシー」というアニメを一気観し、「タクシーのドライバーってこんなドラマを抱えてたりして、なんか良いな~」と思いまして。
ちょうど主人公が同い年だったので、個人タクシーとかいいなと思って。その時は個人タクシーになるのに10年もかかるとかは知らなかったんですけどね。
その番組を家族で一緒に観ていて「お父さんタクシー乗務員なろうかな」と話したときは「いいじゃん、いいじゃん」 みたいな感じで、妻も「やってみたら」と(笑)。
やっぱり嬉しかったのは初乗りで590円だった頃に、600円もらってお釣りいいよって言われた時の10円は僕の宝物だったりします。
僕は時給でやらせてもらっているので、ワンメーターがどうとか関係なく乗ってくれたら嬉しいという気持ちでやれていて、一人でも多くの人を乗せたい、増やしたいというのを目標にしています。
辛いのは道が分からなくて迷惑かけてしまったり、最初は結構悔しかったです。お迎えに行くのに時間がかかってキャンセルされてしまったりとか。
選挙カーの運行が印象深くて、あれをやったおかげでぐんと道を知ることができました。
何時にどこどこの場所で街頭演説するので、その時間までまんべんなく回って到着する、みたいのを実行委員の方と打合せしながらやったのが面白かったですね。
あとは選挙の後、投票箱を市の職員さんが開票所まで持って行くのに公共交通機関を使う必要があるので、その時にタクシーが一斉に開票所に向かうんですね。脇道からどんどん国道に合流して行って。こんなにタクシーが集まっている状況ってなかなか見ないし、みんなが知らない光景だなと思います。
他にも離島から来る方もいらっしゃるんですけど、名刺を渡してくれて「ワンメーターで…駅までで申し訳ないけど…今度、島くる時あったら泊めてあげるからから連絡ください」とか言われたり(笑)
そういうのに触れるっていうのがすごく面白いなと思っていて、時給でやらせてもらっているので会社には売上があがらないと申し訳ないんですけど、なんかある種、徳みたいなものを積ませてもらってる感じがして。メーターを回しているのが、お客さまも一緒に徳を回してるみたいで。
駅前でお坊さんがお経を読んでお金を器に入れてもらう托鉢ってあるじゃないですか。
タクシーのタクって托鉢のタクなんじゃないかって仲間内で冗談で話してます(笑)
そう思うとなんかすごくやりがいもあるし、喜んでもらえただけでも嬉しいし。
一つはデータとかを分析できる人は向いていると思うんですよね。東京のタクシードライバーさんのX見ているととても勉強になりますし感心します。
もう一つは売上だけじゃない何か価値を見出せる人には向いているかなと思っています。
ここ最近、ライドシェアについての議論が活発になっていて、一般者で誰でもドライバーになれる、みたいなことも言われていたりしますが、実際にやってみてそんなに誰にでもなれる職業じゃないなと思っていて。
自分でも事業をやっていますけど、タクシードライバーも感覚が似ていて、自分の経験や勘、データからお客さまの動きを考えながら運行しているので、個人事業をやっているように感じます。
でもちゃんと会社から色々なものが保証されているっていう所においてはとてもありがたい環境ですよね。
タクシー業界はいろんなことを学べる職場だなと思っていて、規制もなかなか厳しいですが、その分まだまだいろんな工夫やチャレンジが出来る業界だと思っています。
特に地方は徳を積みたい人にオススメです!
明るい笑顔が印象的な小仙さん。
ダンボールアーティストとして活動されながら、タクシー乗務員として佐世保の魅力を伝える活動に積極的に取り組む姿がとても素敵でした。タクシーで徳を積むという考え方も素晴らしいですね!
トップページ>特集>タクシー乗務員さんにイロイロ聞いてみよう!>右半身でカバーします!乗務員
取材日:2023年11月
3年経ちました。正社員として、隔日勤務で19時間まるまる働いています。
スキー事故で頸椎を損傷して、左半身が不自由になりました。それが15年前です。
若いころから車の運転が好きでした。以前は印刷関係の営業の仕事をしていましたが、不景気になり、会社をなくすとなりまして。そこからハローワークに行って職を探していましたが、車の運転が好きだったものですから、車の運転に携わる仕事を探してくださいと頼んで宮園自動車を紹介してもらい、現在に至るという感じです。
一応印刷関係の仕事を探してみたのですが、頚椎損傷の関係で職を見つけることが出来ず・・・運送会社も探したのですが、力仕事もあるのでちょっと無理かなと。宮園自動車はそういう(障害者の積極的な)雇用もやっているよということで、面接を受けました。
上肢も下肢もややまひが残っています。しかし障害者手帳を作るために申請にいったら、健常者とたいして変わらない5級という判定でした。いまは歩くのがやや不自由で左手はグーパーができず、走ることは出来ません。
事故から1日まるまる動けませんでしたが、一週間後には(当時勤めていた)印刷会社にいきました。病院には通っていましたが手術は10年間していませんでした。そのあと首がすごく痛くなったので、頚椎の手術をしてもらいました。今はまったく痛みはありません。
いえ、私は通常の車を貸していただいています。ハンドルやアクセルにも何も改造をしていません。右足は大丈夫ですので、アクセルもブレーキも踏めますよ。ただカーナビを使うときにだけ右手で全部操作します。不幸中の幸いで、右半身の自由がきくのでほとんどのすべてをカバーできます。
ドアの開閉も全部右ですよね。サイドブレーキは足で踏むタイプですし、シフトノブもやや遅いですが左手で操作します。
お客様に嫌な思いをさせないように努力はしていますが、運転に関して問題は一つもありません。危ないよ、等と言われたこともありません。
サポートや理解というよりも、周りがみんな解っていることですので、健常者並みに扱っていただけています。この人が障害者だから・・・というのも全くありませんのでとても楽です。給料面に関してもすべて健常者と同じ扱いですので、自分が頑張れば頑張っただけ給料に反映するのも同じですよ。
右足が悪い人もいますから、そういう人には改造した左足アクセルを備えた車両が3~4台ありますし、なかにはハンドルに駒みたいなもの(旋回ノブ)が付いている人もいます。そういう人に関してはこの会社はいいんじゃないでしょうか。
ありますよ。言葉遣いとか運転の荒さだけは気をつけています。自分もタクシーに乗るときがありますから、嫌な思いをさせるようなドライバーにはならないようにしています。
若いころから車の運転はしていましたので、運転に関してなら大丈夫でしょうと言われていましたが、昨今危ない事件とか見ると「今日も一日気をつけてね」と言われます。
サラリーマンなどとは違い、タクシーの場合一対一なので、お客様との問題が発生したときが心配どころでもあったみたいですね。ちゃんと受け応えできるのかな・・・とか。
お客様が降りるときに「どうもありがとうございます」とお礼を言われたときは良かったなと思います。嫌なことは、お客様がいきなりキレることがたまにあります。まだ道を覚えている段階で、知らないところも行く場合があり「そんなこともわからないのか」と言われるときがありますが、そんな時は素直に謝り、へこたれるということはありません。そういうのもすべて含めて楽しくやっています。嫌なことでもあったのかなこの方は…と思いながらやっていますよ(笑)。
家でゆっくりすることもありますし、車を洗ったり、趣味が釣りですのでたまに釣りに出かけます。海を見ながらぼーっとしています。ドライブとかも一人で行くときがありますよ。
特にやっていませんが、乗務が終わるまで、車から降りている数十分くらいのあいだに屈伸したりするくらいです。お休みの日は家にいること自体があまりありません。
ひとつは温厚な方ですね。もうひとつは、乗務時間が長いので、車の運転が好きじゃないとできないかもしれませんね。
いろんな人と意見交換はします。僕は煙草を吸いますので、喫煙所でお話をします。あと障害者の集まりがありますので、他の方の意見を聞いています。それはもうすごいことだと思いますよ。
たとえば渋谷から新宿の歌舞伎町まで行くお客様がいたとして、どうやったら早いのか?など先輩乗務員のその人によるものがあるので、よく聞いています。こういうお客様がいて、そういう場合はこうやって受け応えした方がいい…などですね。
道に詳しい乗務員がいますので、教えてもらいお客様のいないときに走ってみることがあります。たまたま乗せたお客様に、教えてもらった方面に行ったときに褒められたこともありますよ。
ベテラン乗務員でも東京23区の道をすべて網羅している人はいませんね。何十年やっている人でも、知ったかぶって行くより、わからないところは「わからない」といった方がいいと言われます。クレームにならないように、僕もここはちょっとわからないので、と最初に言ってしまいます。
僕は100パーセント、付け待ちと無線配車です。
いいえ、それは自分の判断でやっています。付け待ちして、たとえば新宿まで行ったときに、世田谷の方に戻るときは流しながら帰ってきます。昼間は世田谷周辺で、夜は繁華街の方に行っています。
GOアプリと東京無線のアプリを取りますよ。世田谷区の中でも住宅街の中にいますので、GOアプリはよく鳴ります。
障害者でも「仕事を見つけるんだ」という意欲がある人はすぐ見つかると思います。俺は障害者だから…と思う気持ちを少しでもなくすように自分の中で努力して、一歩でも二歩でも進んでいくように努力をすればいいかなと思っています。
タクシー乗務員の場合は、他の会社員とは違って、仕事に出れば一人で自由です。売上さえ上げれば、ノルマさえ達成すれば文句は言われません。
これから職を探す方、そういうのもひっくるめて、楽しい面もつらい面ありますよ。正直言えます。
障害者だからこそ、お客様に対しての気配りとかもできると思いますから。僕の場合は外見を見ても障害者だから、と見えないと思うんですね。運転中は座っていますしわからないと思います。
ありますよ。以前乗っていた車両が車いすなどを載せる車両でしたし、お荷物のお手伝いしたりしています。
一番はハローワークに行くのが一番です。宮園自動車を紹介されてからHPを見るという流れになるかと思います。
頑張り屋さんがいいですね。一緒に話をしていて楽しいなと思う人方もいいと思います。
僕の場合は、嫌なことでも「いいほうに変えていこう!」という気持ちがありますから、こんな身体になったって全然問題ないなって思っていますね。
笑顔でニコニコお話ししながら、多少の困難にも力まずに挑戦される姿が印象的な渡邊さん。
このインタビューの後にお元気に乗務に向かわれました。
趣味に仕事に、いつまでも頑張ってください!
トップページ>特集>タクシー乗務員さんにイロイロ聞いてみよう!>義足でも工夫し運転できます!乗務員
取材日:2023年11月
ずっと前の昭和22年、私が小学校1年生のときに交通事故にあいまして、足はありましたが機能はしなかったので、松葉づえでずっと生活していたんです。そして令和4年に右足の膝から上を切断しました。
傷があってなかなか治らず、どんどん悪化するようになり、足として機能はしていなく傷の処置も大変でしたので、思い切って切断しちゃおうということになったのです。義足がなかなか合わなくて、松葉づえで過ごしています。
平成18年に入社し、もう17年経ちました。雇用形態は1年ごとの契約社員で、隔勤で働いています。
基本はけっこう流していますね。夜は銀座に専門で行っちゃいます。ロングの確率も高いですよ。アプリの注文も取りますし、無線も取りますよ。
就職活動をしていて、東京都の合同就職会というのがであったんです。当初ITの仕事をしようかなと思っていたのですが、宮園さんがブースを持っていて「タクシーをやりませんか」と声を掛けられました。え?障害者がタクシーをできるのですか?といったら「できますよ」と言われたのがきっかけで宮園さんに入ることになりました。
前職は法律事務所にいました。
30年位いたのかな。トラブルがあって事務所が閉鎖することになってしまい、新たに仕事を探すことになったんです。そのときはITといっても、スキルのあまりいらない入力事務などだったので、自分が考えていたのとは違う感じがしました。
運転していましたよ。仕事の関係上、弁護士を乗せたり裁判所へ行ったり車で移動していました。
限定免許ではありませんでしたし、普通の車で右アクセルで運転していました。宮園自動車に入ってからは右足が突っ張るようになってしまい、「左足用アクセルもあるから」ということで改造していただきました。
ええ、違和感なく運行できましたよ。
いいえ、左足用アクセルだけですね。
トランクサービスをするのに、ベビーカーを乗せるときなどちょっと困るなと思いますが、自分の足が悪いと解っていただけるので、お客様から「大丈夫です」と言っていただけます。
いまはジャパンタクシーですので、スーツケースなどそのまま載せられます。昔はなかったのでその点は私にとって良かったです。そして自分用の松葉づえを常に後部座席の下に入れてあります。
私は平成18年に社会復帰しているようなものですから。そのときにトランクサービスができるようになったと思ったのですが、足に負担がかかって義足じゃダメですということになって。傷が治ったら再度チャレンジしようかなと思っているところです。
宮園身障二種免協会というグループがあり、歴史が古く、面倒を見ていただき現在までずっと仕事を続けてこられたという感じがあります。障害者がけっこういるので、あまり違和感がありません。特別扱いということもありませんね。先輩たちが一般の方と仲良くやっていて、それがずっと引き継がれているから、昔から培ってくれたことが自然な形であるという感じです。
他の乗務員に「私たち(障害者)のことどう思う?」と聞いたことがあるんですが、何も返事しませんでしたよ。誰も違和感がないみたいですね(笑)仕事も一般の方以上にやっているという思いがあるから。管理職の人たちが、障害者に対する扱いが慣れていて普通に接していただけるのが長続きする理由なのかなと思います。
身障二種免協会の存在は大きいと思います。私も最初入社したときに添乗してもらったのは障害者の先輩でした。最初は「本当にできるのかな?」という不安はあったのですけど、いろいろ面倒を見ていただき、助かったなという感じですね。
旅行、忘年会、新年会、総会と年に4回、大きな行事があります。宮園で、個人タクシーになった人、リタイアした人なども参加します。
ご年配の方や乗り降りが不自由な方には、慌てずにゆっくりで大丈夫ですよとお声がけするようにしています。その一言が重要かなと思っています。
むしろ「天職だね」って言われましたね(笑)あってるあってると。
道に対する不安もあまりなく、自然に蓄積できていったのと、車で通勤ができるというのがすごく大きなメリットだったなと思います。私は常に通勤のことを考えていたんです。松葉づえだったので、通勤が無理だと長続きしないと思うんです。
別に何も言わなかったですね。そのときは二種免も持っていなかったので、会社で取りました。むしろ就職して経済をちゃんとしてもらわなくちゃ、というのが先だったのかな(笑)子供も嫁もいたのでね。
仕事は無理しないということ、休憩は3時間ピッタリとることは守っています。仕事中心になったので、遊びに行くこともなかなかしませんが、身体を休めるということだけですね。
ただ寝ていることが多いですよ、高尚な趣味もありませんし(笑)
年齢も重ねてくると昔のように頑張れないですし、遊んでいると体に負担がかかりますしね。
売上をあげて、うちの黒板に自分の名前が十傑の中に残ったときは、やったかなという感じがしましたね。あとは二種免協会の旅行に行ってみんなで騒ぎ、仲間を作れるというのが一番いい。外に出たら自分とお客さんだけで、誰からも管理はされないじゃないですか。意外と孤独なものなんですよね、仕事やってても。帰ってきて誰かとしゃべる。二種免の障害者どうしでああだこうだ、そういうのがストレス解消になっているのかなと。
やっぱり仲間がいないとこの仕事は長続きしないと思います。身体だけ壊しますよ、一生懸命やっていても。
今でも印象に残っているのは、小銭を投げつけられたことがありました。
私は道が分からず、お客様もよくわかっていなくて、あっちに行ったりこっちに行ったり…酔っぱらっていた方でしたが…。まだ不慣れなころは落ち込んだこともありましたけどね。いまでもそのマンションの前を通りかかると思い出します。
酔っぱらったお客さんを乗せてお巡りさんを呼ばなくてはいけない時も何回かありますが、嫌だなと思いながらも、慣れてくれば対応の仕方も上手になってくるし。
基本的に運転が嫌いじゃない人がよいのではないでしょうか。それと毎日の乗務が絶対に同じではないので、「毎日の仕事が違う」、刺激のあることを望んでいるような方のほうが向いているかなと思います。
18年やってきて、仕事がいやだなと思ったこともあまりありません。だんだん経験を積むにあたって、道もどんどん把握できるようになり、最近であれば「〇〇へ行ってください」と言われたら「はい」と返事ができるようになりました。道に対する、自分に対するストレスがずいぶん緩和されたことはすごく大きいですね。みんな最初は道がわからないことがストレスになるんですよ。
地図で見るような感じでしたが、大変だったという記憶はないです。それでなんとか目的地まで行っていました。
障害者がいっぱい働いていますよ、ということかな。私も障害者ですから、健常者と同じように普通にしてくれると嬉しいじゃないですか。まさしくここは健常者と同じように対応してくれて、それがあたりまえというような感じです。特別扱いもされていません。そのかわりちゃんと仕事はしなくちゃいけないけどね。
うちの会社は身体が丈夫であれば80歳まで契約してくれることになっています。私を添乗してくれた先輩乗務員はこのまえ80歳で勇退された方がいましたよ。その先輩を見ながらずっときたので、勤め上げたいなという気はしています。そういう目標みたいなものあればやっていけるのではないでしょうか。
入社した時には年齢が遅かったので、10年経つと(目指そうと思うことは)ほとんどなかったです。だから若い人たちは個人タクシーを目指せばいいと思います。個人タクシーになった人とも二種免協会で交流があります。先輩にいっぱいいますので。
宮園に入ってくれればね、安心してくれるかなと思います。
健常者と変わりなく真摯に働かれている佐々木さん。
他では知ることのできない貴重なお話をお聞きすることができとても勉強になるインタビューとなりました。また宮園自動車独自の取り組みと、その姿勢に感激しました!
トップページ>特集>タクシー乗務員さんにイロイロ聞いてみよう!>盛りだくさんの資格で乗務員
取材日:2023年11月
私は21歳から車業界に携わらせていただいているんですけれども、二種免許を取ったのが22歳でした。
その頃は、他県でジャンボタクシーや観光バスの乗務員をしていました。
しかし、コロナウイルスで観光バス、旅行関係の仕事が全くなくなってしまいました。
令和2年に入りましたので4年目になります。
タクシーなら毎日仕事がありますので、コロナ禍からアフターコロナを考えた時に、タクシーの復活が一番早いんじゃないかと思い入社しました。
弊社はコロナ禍に休業していました。営業再開にあたり亀山市で運転代行やバスなどを営業していたミエ・ドライビングサービスグループで会社を引き継ぎ、社屋の引っ越しなどをはじめ再度の営業申請から携わりました。
現在はグループ会社運営部長という立場でタクシー、バスの乗務以外に、運行管理、配車、運営管理に携わっています。
三重県は基本的に「流し」というものが無いんですね。
駅での付け待ち、もしくは車庫待機、病院施設、指定の待機場での待機がメインになります。
日勤も夜勤もありますが、ご高齢の乗務員さんが多いので夜の出番も多いです。
運行管理や整備管理の資格は、前職で観光バス会社の管理職をしており、業務上必要がありましたので取りに行きました。
あと貨物の運行管理の資格も取りました。コロナ後、タクシーやバスでも「貨客」という言葉が出てきまして、特にコロナで食品輸送や、フードデリバリーに空いている車を使うとか、必ず貨物の免許が必要になってきますので取得しました。時間がある時にこういったものを取って、なにかの時に役立てばいいかなと思いまして。
運行管理ですかね。タクシーには拘束時間というものがありまして、月の拘束時間ですとか、こういった場合は黒か白かという判断が早くできます。
「こういうお仕事はダメですよ」とか「この日は何時までしか乗務員さんも出ちゃダメですよ」 など、乗務している中で「今日はこれ以上乗務すると拘束時間オーバーになってしまう」といった話がしやすいですし、会社や同僚も資格があると話を聞いてくれます。
あと、体調を崩した時や怪我をした時など車に乗れなくなっても安心感がやっぱり違いますね。
旅行業務取扱管理者の資格です。今年、受けに行こうと思ったんですけど時間が合わずに行けなかったです。
将来的には、国内旅行で旅行業を開きたいなと思います。
もう1つは介護系です。将来的にジャパンタクシーとかも導入していかないといけないので、サービス介助士の資格も全社員に取らせたいなというのは正直あります。
年間数えるほどなんですけど、会社から10~15分の場所に鈴鹿サーキットがありまして、外国の方がいらっしゃいます。あと関宿という町並みがありますので観光というよりは、登山客さんの対応というのが非常に多いです。
この間、遠方にいらっしゃる方が危篤で残念ながら間に合わなかったんですけども、でも「お陰様でその日に死に目にあえました。」といったお言葉をもらえたり、そういう人に近いお仕事でお客様から「ありがとう」や「助かったわ」って言ってもらえるのが一番良かったなと思います。
コロナ禍でのまん延防止、緊急事態宣言の時の夜間、その時がもう一番孤独でした。 2時間3時間、駅でお客様も誰も電車から来なければ、電話も鳴らない。お客様から怒鳴られたりすることよりも、そのお客様が見えない、それが一番つらいですね。
1日2回走っただけで全くお客様もいなくて、もう今日は帰るわって帰ったこともありました。でもそうすると「この会社はコロナが出たよ」という根拠のない噂が立ってしまうので、運行をやめることも出来ないんです。
なので 1台でも動かしていることが会社の宣伝になるので、まあちょっと出させてもらったり…その時が一番しんどかったです。
食べるものは、カップ麺や加工食品を極力避けるようにしています。
特に夏バテ防止でトマトとか、夏野菜を食べると夏バテしにくいというのを教えて貰ったので、食べられるときは食べるようにしています。あと近所に卵屋さんが多いんですね。1日に2~3個食べて。しんどいなって思ったら、卵はものすごくパワーが出ます。
私は、飲んだり食べたりするのが好きなんですけど、タクシーで夜勤をするようになってから必ず守っていることがありまして絶対に寝酒をしないことです。夜勤から帰ってきて飲みたくなるんですけども、そこから飲むと確実に体を悪くしますので終わったら食べずに白湯ぐらいだけ飲んで寝ます。
一般の会社さんでサラリーマンしたけど挫折した方、他の会社さんで挫折した方って案外向いているんじゃないかな って思います。まず自分の弱いところが分かっているのと、タクシーは基本会社を出てしまえば、一匹狼で個人プレーなところがありますので。
お客様を乗せた分がお給料になりますし、「一般の会社で苦しかったな」「思ったようにお給料もらえなかったな」という方が一番いいかもしれませんね。
二種免許を取るハードルは当然ありますが、「案ずるより産むが易し」で、まずされてみたら良いと思います。
あと一番お伝えしたいのは、私も思っていましたが、地方のタクシーは、年金貰って奥さんが働いてるぐらいじゃないと生活できないって以前は言われていたと思うんです。
でも今はタクシーが足りなくなっていて、売上もかなり上がっているところも多いので、一般の会社で働くよりも家族養えるくらいのお給料は稼げると思います。
新人乗務員さんがきたら先に新車を回したりする会社も多いので今ってすごく良い時期ですよ。
さまざまな資格を取得し、その資格を積極的に仕事に活かしている横山さん。
穏やかな話し方のなかにも、高い意識をもって日々の乗務に取り組む姿勢が印象的でした。