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20周年記念

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taxisite タクシーサイト 20周年記念 タクシーで出会った、温かい思い出エピソード

2020年タクシーサイトは誕生20周年を迎えました。皆さまより多数頂いたタクシーエピソードの中から、思わずほっこり、温かい気持ちになった作品を発表いたします。

入賞作品

その他のエピソード

心温まったで賞

RAMさん(50代/女性)

一昨年まで、実家の父母の介護のため、毎週末新幹線で帰省していました。
駅からまず父の病院へ行き、次に母の介護施設に行くという二重介護。日々の治療に目いっぱいの父と認知のあいまいになった母からは、来てくれてありがとうの言葉も聞けず、毎回切ない帰省でした。
そんな時、いつも励ましてくださったのが駅から、そして病院間で乗車させていただくタクシーの運転手さんでした。
行先に病院名を言うと「お見舞いですか?」と聞いてくださり、ついついこちらも「毎週末介護で来てるんです」と自分語りをしてしまいました。
たくさんタクシーに乗りましたが、どの運転手さんもご自分のエピソードなどを交えて励ましてくださり、時には買ってあった缶コーヒーやお菓子をくださったりということもありました。
あのタクシーの中での10分から20分の短いおしゃべりが、当時どれほど心の支えになったことか。
お礼の意味をこめて、今回応募させていただきました。

たくさんの「一期一会」が、みんなの心を支えていると改めて感じます。

危機一髪だったで賞

コウノトリンさん(60代以上/女性)

35年前。まだ陣痛タクシーがなかった時代の話です。
いよいよ陣痛が始まり、お産という時。慌ててタクシーに乗り込んだものの、国道18号線は大渋滞。
一分一秒が長く感じられ、陣痛の間隔がどんどん短くなってゆく。
「もう産まれるー!」
赤ちゃんが下がってきたのを感じ、私は大絶叫。すぐさま運転手は路肩に停まり、救急車を手配。まもなく救急車が到着し、その車内で息子は誕生しました。息子が無事に生まれてきたこと。もちろんそれは嬉しかったのですが、救急車が来るまで運転手さんが私の背中をさすり続けてくれたことが今も心に残っています。
あの時のタクシーで救われた息子は35歳になり、タクシーの運転手としてお客さんの安全を守り続けています。

息子さんがタクシー乗務員になるなんて、運命を感じますね!

忘れ物はしないで賞

はるとんままさん(20代/女性)

地元、遠野市のタクシーに乗った際に
助手席の後ろに張り紙で「忘れ物にご注意ください。せっかく選んだものですもの。」とありました。
遠野まつりや、座敷わらしで観光客も多くなってる遠野市。
地元の温かみを感じました。

言葉のやりとりだけじゃなくても、温かい出会いはすぐそばにあるものですね。

夢を乗せているで賞

凪じいさん(60代以上/男性)

「これから第二の人生かあ」
新橋でタクシーに乗ったのは定年退職した日だった。飲み会の帰り、僕が調子に乗って話しかけると「タクシーの運転手なんかどうですか」とドライバーが言う。
僕は「いやいや」と恐縮しながら彼にこの仕事を選んだ理由を聞いた。すると本当にやりたかったことではないという答えが返ってきた。
彼は前職をリストラされて泣く泣くこの仕事に就き、今の奥さんと結婚したのであった。タクシー会社の事務員でもあった奥さん。家でも職場でも「いってらっしゃい」と笑顔で送り出し、「おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれたと言う。
しかしその奥さんはもうこの世にはいなかった。病名は乳がん。十年にわたる闘病生活の末、二年前に亡くなっていた。もちろんモチベーションは低下。退職も頭を過ぎったと言う。それでもまだ続けている理由に僕は胸を打たれた。
「なんだかねえ。いつか女房が乗ってくるような気がするんだよ」
そう言って照れ笑いを浮かべた。
僕は外の景色を見るふりをして泣いた。その涙を運転手には見せまいと思った。お客さんだけでなく、夢を乗せているタクシー。行き先はたぶん「笑顔」なのかもしれない。そんなことを思った。

いまでも奥さんが乗ってくるのを待ちながら、タクシーに乗務されているかもしれませんね。

ニッコリしたで賞

Chinocoさん(30代/女性)

第二子を妊娠し、里帰り中の出来事です。
里帰り先は車がなくては生活できない環境ですが、私は臨月に入り運転を控えていました。
そんな中、長女が熱を出し、病院へ行くにも家族は仕事、私も運転できずタクシーを呼びました。
病院での待ち時間対策で、娘は当時お気に入りだった大きなトトロの絵本を抱えて乗車し無事に病院へ。
帰宅時も迎車をお願いすると、行きと同じ運転手の方でした。
乗車すると、運転手さんがおもむろにオーディオをいじり始め、流れてきたのはトトロのテーマソング!
熱もあり、人見知りなのも相まって私に張り付いていた娘が、にっこり微笑んでいました。
乗車場所等から同じ親子だと察して下さったのか、娘への心遣い、本当に嬉しかったです。
車中でも明るく話しかけてくださり、運転手の方の人柄が伝わってきて、私も不安な気持ちが和らぎました。
普段は都市部に住んでおり、タクシーを利用しても運転手の方とお話しすることはほとんどなかったため、この出来事は本当に嬉しく、心に残りました。

乗務員さんのさりげなくもプロのサービス!こういう時だからこそ、心に染みますね!

乗務員はスーパーマンで賞

けいこまりさん(30代/女性)

駐車場に車をとめていたらバッテリーがあがってしまいました。
遠出をしていて全く土地勘がない所で、どうしよう。と思っていたら、そこで私の様子を見ていたタクシーの運転手さんが来られて、「バッテリーが上がったん?つなげてなおそう」と言って、タクシーと私の車のバッテリー?をつなげてすぐになおしてくれました。
「ありがとうございます。なおせるんですね、感激しました」と言うと「タクシーはいつも道具いろいろ載せてるんよ」と言われました。
乗客でもないし、これから乗るわけでもない私に親切にしてくださった事に感動しました。
お礼を渡そうとしてもどうしてもとってもらえませんでした。とっても心温まりました。

繋いだのは、バッテリーだけじゃなく心も繋いだんですね!

2000円のやさしさ賞

りんさん(20代/女性)

「…まで二千円で行ける所までお願いします」
残業で終電を逃した私はタクシーに乗ると遠慮がちに告げた。仕事に追われ、財布の中身も確認してなかった。
「遅くまで大変だね」運転手さんは労わってくれた。
「新入社員だから頑張らないと」
「じゃ、うちの娘と同じだ。今年大学を卒業してやっと社会人だ」
「私もです。同級生ですね」
何気ない会話をして二千円直前で降車した。街灯もない深夜の暗い夜道。家まで歩くと30分以上はかかる。空っぽの財布と心を携え怯えながら歩き出した。…が、再び走り出したタクシーが停車した。
…私、忘れ物でもした?
慌てて駆け寄ると後方の扉が開いた。
「同い年の娘を持つ父親として、やっぱりこんな夜道で放り出せないよ。客じゃなく、私の娘って事で乗ってきなさい。今夜はもう終業だ。私の家も同じ方向だから」
それは、父が娘を心配する顔だった。
「有難うございます」
込み上げる涙を堪え乗せて貰った。
家に着くと丁重にお礼を言って降車した。
…同じ方向って、嘘?
Uターンして逆方向に走り去ったタクシーを見て彼の優しい嘘に感謝した。
ほんの数分でもあの運転手さんの娘になれて私はとても幸運だった。

こういう乗務員さんに出会ったからこそ、お仕事も頑張れますね!

その一言がうれしかったで賞

寺田さん(30代/女性)

主人のお父さんが亡くなって、葬儀を終えた帰り道だった。
地域独特のルールや風習などのしきたりが山のようにあり、はじめましてのご親族の方も多い。
当時静岡に住んでいた私は、主人とともに千葉にある実家に泊まらせてもらい、朝は家事、昼間は弔問客対応、そして打ち合わせや葬儀など、悲しむ暇さえなく、動いていた。
知らず知らずの間に、私の心は、疲れていたのだろう。葬儀が終わって駅について、自分で荷物を持って帰る気力すらなく、タクシーを使わせてもらうことにした。正直、タクシーを使うような距離じゃない。
しかし運転手さんは快く、私を乗せてくれた。喪服のままだった私。
「ご不幸ですか?」「そうなんです。急で、びっくりしました」ぽつぽつと、会話が続く。運転手さんは言った。
「おつかれさまだったねえ」その声が、なぜか、一番心に響いた。
タクシーの中であるにも関わらず、涙があふれて止まらなかった。私は、運転手さんにああ言われて、はじめてお義父さんの死と向き合い、心のお葬式をすることができた。小さな、一言である。
しかし、私にとっては、どうしようもなくあたたかい一言であった。

たった一言が、心に深く残ることってありますよね。

スリル満載で賞

あくてぃぶかあちゃんさん(50代/女性)

オバサンがまだ“乙女”だった頃の話。ダチと言いつつ、実は片思いの友人と飲みに行った帰りに乗ったタクシーでの出来事。
家が近かったので二人でタクシーに乗り、帰る途中。
「じゃあ、またな」と彼が車を降り、ドアが閉まった時にふっとつぶやいた私。
「今日も言えなかった・・・。」
と、いきなりタクシーがバックして、運転手さんが彼に一言。
「姉さんが話があるって!」
おいおいタンマ!勘弁してくれぇ!!!
「何でもない!何でもない!」と慌てふためく私。怪訝そうな彼。
彼を見送ってから運転手さんが一言
「スリルあったでしょ?」
マジ勘弁してほしい!
結局言えないまま、離れてしまい、懐かしいお話になってしまいました。
あの時、想いを伝えられたら、運命は変わっていたのでしょうか?なんてね、思う時がないわけでもありません。

乗務員さんもそんなイタズラ心を出しちゃう時があるんですね!

乗務員さんと一心同体?で賞

まいまいさん(30代/女性)

私は、タクシー会社に勤務する事務員です。運転手から聞いたほんわかしたエピソードを紹介します。
沖縄には清明祭(シーミー)といって、毎年4月頃に墓の掃除をし、先祖を敬う行事があります。
その時期になると乗務員Aさんを指名するお客様がいます。当日Aさんの荷物を見て驚きました。
Aさんは草刈り用のカマと、水筒、着替えをトランクに積んでいます。
「Aさん今日は予約指名のタクシーの乗務ですよね?」と聞くと「今日はお客様と一緒にお墓の掃除なんだよ」との返答でした。
「お墓掃除??」
話を聞くと、お客様は高齢の女性お二人で、清明祭(シーミー)の時期になると、市内から離れた場所にある墓を掃除しに行くために、時間制貸切のタクシーを利用しているそうです。
タクシーで送迎することが業務なのですが、Aさんは高齢の女性お二人が墓掃除をしている間、タクシーの中で待っていることが心苦しくなり、墓掃除を手伝うようになったそうです。
このお付き合いも、今年でもう7年目で、お人好しなAさんは、お二人が元気なうちは続けていくそうです。
以上ほんわかエピソードでした。

これから10年、20年と続いていくとイイですよね。

大工の心はいつまでも続くで賞

大工の孫さん(20代/女性)

私が物心がついた頃には、既に杖が無くては歩けなかった祖父ですが自分の足で歩けるまではと大工の仕事を毎日続けていました。
私が社会人になったときには車椅子になっていて、なかなか行きたい所にも行けず豪快でよく笑う祖父が小さく見えました。
そんな祖父がポツリと『京都のお寺を見てみたかった』と言いました。大工の祖父なら昔の建築物を見たいのは当たり前だったんだと思います。その時祖父はガンを患っていて、祖父の願いを叶えるべく家族と一緒に京都旅行に行きました。道中は全てタクシーで移動にしたのですが、その時の運転手さんがとても素敵な方で地理が分からない私達に変わり、工程を事前に考えてくれ、旅のしおりまで作ってくれていました。祖父の車の乗り降りを全て手伝ってくれ、京都の話、大工の話…たくさんお話をしてくれました。
タクシーの運転が仕事なのに、それ以上の思い出を私達家族に刻んでもらいました。
祖父もとても楽しかったようで、帰り道には『またあのタクシーにお願いして京都行きたいな』と言って笑っていました。
旅行から五年後に祖父は亡くなってしまいましたが、亡くなるまで京都の話をしていました。運転手さんありがとう。

天国でもおじいさんは京都での思い出を懐かしんでいるかもしれませんね。

しゅうまいさん(20代/男性)

出張で岡山県に行ったときのこと。仕事を終えた私はタクシーに乗った。
その日の朝刊で岡山県にイノシシが増えていることを知って、運転手さんに訪ねてみた。
「ほんとに多いですよ。でもイノシシだけじゃなく、猿も野良犬もいるし、この前は雉(キジ)も見たよ。まさに桃太郎だよね。そういえばお客さん、夕飯は食べた?せっかく東京から来たなら旨いもん食べて帰らないと。」
そう言って、おすすめの定食屋の前まで行ってくれた運転手さん。
車中を飽きさせないトークと、出張で疲れていた私に労いの言葉をありがとうございました!

ぼっすさん(20代/男性)

去年の秋頃の話です。
友人とお酒を飲んだ帰りにタクシーを使いました。
その日は普段なら使わないで帰れる場所でしたが、気分も盛り上がっていて、タクシーで帰っちゃおうぜ!みたいなノリでタクシーを呼びました。
友人を先に降ろしてもらい、後部座席でボーッとしていると、気を遣っていただいたのか運転手さんから話しかけてもらいました。
いろいろ話していると運転手さんが、「俺は昔○○の辺に住んでいたんだ。家の近くにあったラーメン屋が好きだったんだよな~。」と話してくれました。
それを聞いた瞬間に鳥肌が立ったのを今でも覚えています。そのお店は自分の祖母が営んでいたお店だったんです。
興奮しながら、そこ僕の祖母のお店だったんですよ!!と話しました。
アパートに着くまで、たくさん楽しく話せたし、昔のあのお店の事を知っている方と出会えるなんてとても驚きました。
今でもまた会えないかな~、なんてたまに乗ったりしています。笑

coniさん(50代/男性)

オヤジはいつも無茶苦茶な奴でした。
50年ほど前、オヤジが新幹線に乗りたいかと聞くので乗りたいと答えると、「よし今からミカン狩り行こう」と言い出し、お袋と3人で新幹線に乗って京都から静岡まで行きました。
静岡駅で真っすぐタクシーに乗り込み、運転手さんから「どちらまで?」と聞かれたオヤジはひとこと「ミカン狩り」。
運転手さんも家族も「エ゛ーっ?」でしたが、運転手さんは仲間に聞いて、無事営業中のみかん園へ連れて行ってくれました。
俺はオヤジを反面教師に、タクシーには必ず行き先を調べてから乗ることにしています。

おんさん(30代/女性)

私が小学1年生の時のことです。
その頃は土曜日にも午前中、学校があり、隣街の母の仕事場までバスに乗って行かなくてはいけませんでした。
7月、バスに慣れて来た頃に事件は起こりました。違うバスに乗ってしまい、全く違うところで降りてしまったのです。暑い日で、汗をかきながら歩いているとタクシーの運転手さんから「大丈夫か」と車の中から声をかけられました。
ボロボロ泣きながら仕事場をいうと「遠いぞ。送ってやろう」と言って送り届けてくれたのです。途中「お腹すいてるだろう」と奢ってくれた立ち食い蕎麦屋の味が、未だに忘れられません。
立ち食いは、当時の私にはとても驚きで、スリリングで、でもとても美味しかったのを覚えています。送ってもらった後、親子でお礼を言いました。感謝しています。

ヒッピードライバーさん(60代以上/男性)

初めての海外ひとり旅。
空港に到着したのは早朝四時過ぎ。人気のないまっ暗な空港は閑散としていて、右も左も分らないまま、とりあえず「TAXI」の看板を探していると、暗闇の彼方から眩しく光るヘッドライトが目に飛び込んできた。
その光に反射的に手を上げ、眼の前で停車した車を目の当りにしたとき、私は思わず仰け反ってしまった。
車は年式の古いキャデラックで、車全体に蛍光色のペンキでサイケな絵や文字が描かれていて、激しいロックがガンガン鳴り響く車内から顔を覗かせたのは、髭面金髪のロングヘアーの若者だった。
しかし停車させてしまった以上乗車するしかなく、高鳴る胸の鼓動を抑えつつ行先を告げると、若者はタクシーメーターらしきものを作動させた。きっと私は暗闇の中、見知らぬ処へ連れて行かれ、丸裸にされてしまうに違いない。そんな妄想が頭の中を駆け巡っていった。しかしドライバーは見掛けとは違い、陽気で礼儀正しく、当たり前のことだけれど、夜明け前には私をちゃんと目的地に届けてくれた。
初めての海外での、初めてのタクシー。強烈な出会いだったけれど「人は見掛けで判断するものじゃない」の格言を、改めて思い知らされた。

ポプラの木さん(30代/女性)

2年前のこと。祖母の米寿のお祝いに、2人で旅行にでかけました。
温泉街を歩いて回っていると、突然祖母が体調不良を訴え、その場に座りこんでいました。
雪が深く積もっていた事もあり、救急車は到着までに30分かかるとのこと…仕方なく救急車を待っていると、たまたま通ったタクシーがUターンをして私達の元へ。
事情を説明すると、タクシーの運転手の方が、座りこんだ祖母をおぶってタクシーに乗せ、病院まで運んでくださいました。
祖母の病の原因は、脳梗塞からきたもので、少しでも遅ければ後遺症になるところだったそうです。
祖母が、運転手の方にお支払いとお礼がしたいと探していると、その姿はありませんでした。
『早く良くなりますように』と一言、看護師さんに伝えて帰られたそうです。
運転手の方の素早い対応が祖母を救ったといっても過言ではありません。
今年卒寿を迎える祖母とこの事は一生忘れられないねと、2人で良く話しをしています。

やぐぶんさん(20代/男性)

私の忘れられないタクシードライバーさんは、1週間前に乗ったタクシードライバーです!
最近はコロナウイルスが流行しており、タクシーの運転手もマスクを着用やアルコールの消毒など大変な中、彼女が夜遅くに体調を崩してしまい急いでタクシーの迎車をしました。
タクシーが家の下に到着した通知が携帯にきたのですが、彼女の体調が悪くすぐに家を出られない状況でした。
僕が利用した会社のアプリは乗車予定時間より5分以上経つとキャンセル料がとられてしまうのですが、事情を説明したところキャンセル料は気にしなくていいから体調を優先して下さい。と待っていてくださり、更に待っている間にスポーツ飲料とフルーツを買ってきてくださり、下車する際に『お大事にしてください』と頂きました。私も彼女も心が温かくなるドライバーさんでした!
またそのドライバーさんに会う機会があればその時はちゃんとお礼を言いたいです。

鴨珈琲さん(20代/男性)

山形県にある赤湯駅。昨年の秋、私は仕事で初めて訪れた。
スケジュール的に、観光する暇もなく、ただ一泊するだけだった。

21時頃、旅館に向かうため、1台のタクシーに送迎してもらった。
「ここら辺で一杯飲める場所はありますか?」私はタクシーの運転手さんに話しかけた。
「あ、1軒知ってるお店があるんで見に行ってみましょうか」
運転手さんはわざわざ遠回りして、居酒屋に向かってくれた。

居酒屋でお酒と美味しいおつまみを堪能し、なんだか旅行気分。あっという間に時間が経ち、閉店時間になった時、
「お客様、外でタクシーがお待ちですよ」居酒屋の店員さん。
「え、呼んでませんけど・・・?」

なんと、タクシーが閉店の時間に合わせて迎えに来てくれた。
見ず知らずの観光客が真夜中に旅館までたどり着けるか心配してくれたのだ。すごい、わざわざ来てくれるなんて!

いやいや、「わざわざ」じゃないのだ、それが「自然」なのだ。あくまで運転手と客ではなく、人と人なのだ。

「おもてなしの国」と呼ばれる日本。
おもてなしはしてあげるものではないと思う。
赤湯のタクシーの運転手さんに出会い、あの街が一層好きになった。

桜木雪那さん(20代/女性)

その日は生理中で、歩くのも大変な時でした。家に向かうためにタクシーを頼ろうと思い、タクシー乗り場へ。少し大きめのタクシーに乗り込み、行き先を告げます。
一息ついて座ると、なんと座ったところが温かいのです!
それは他のお客さんとかではなく、椅子に設置されたシートなのでした。
太もも裏とお尻、それから腰の部分まで。生理中の私にとっては、特に腰が温かいということが大変嬉しく、帰るまで天国のような気分でした。さらに揺れの少ない運転で、こんなタクシーもあるんだという発見と気遣いに、胸が一杯になった瞬間でした。

冷凍タラコスパさん(20代/女性)

私の弟の結婚式に参列した帰りに、少し認知症の入ってる祖母と二人で家までタクシーに乗って帰ることにしました。
私は別の場所に住んでいましたが、祖母がその日一人になってしまうので一緒に帰って泊まることにしたので、タクシーの中で色々話ながら帰っていたのですが、なぜ今自分がタクシーに乗っているのか、今日はどこまで何をしに行っていたのかわからないと言いはじめ・・・

スマホの写真を見せながら、今日は何があってこんな料理を食べて、こうやって皆で写真を撮ったでしょ、と話していると、タクシーの運転手さんが「お孫さんですか?優しいね。」と少し涙ぐんで話しかけてくれました。
私は当たり前というか日常の事だったので、「え?全然普通でしょ」と言い返すと、「自分の母も認知症だけどそんなに優しく話しかけたのはもういつが最後か」と。
「息子と孫ではまた違いますよ」と励まし?の声もかけつつ、会話にズカズカと入ってこず、静かに聞いてくれて少し恥ずかしかったですが、お互い、いい時間を過ごせたなと思います。

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