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ツアーを申し込んでから暫くして、旅行会社から今度のツアーが正式に成立したことを電話で知らせてきた。そしてまもなく旅行申し込みハガキ、旅行案内書、振込用紙、旅行取引条件説明書が届いた。参加申し込みが35名に達しないとその日のツアーは中止になると云われていたので先ずは一安心。 旅行代金を振込んでから10日ほどして旅行のスケジュール表が送られてきた。それによると羽田空港に7時15分集合、時間厳守、8時フライトとなっている。このような国内ツアーでは、スタートを早くすれば一日目を有効に使えるし、航空運賃の割引率も高くなる。そこで当然のように早朝フライトになるということは理解できるのだが。
我が家から羽田へはバスで舞浜駅に出てJRとモノレールを利用するのが普通だが、時間に間にあうにはかなり早く家を出なければならない。先ずその時間にはバスがないことが分かった。結局一台に定員オーバーの6人乗りで空港に行き車を預けることにした。道路がすいていて30分もかからず、7時前についた。私は駐車場料金にはタクシーと反対に深夜・早朝割引があることを初めて知った。ラッキー初めからついている。
『一日目』 飛び立ったらあっという間に岡山空港に到着。観光バスがなんと3台も待っていて参加者の数を心配したのが馬鹿みたい。我々は第1班でここから47名の旅が始まった。先づはのどかな田園風景を眺めながら備中国分寺に向かった。ガイドさんの名調子によって、このなんの変哲もない道が見どころいっぱいの吉備歴史街道に変身した。
遠方に見えるこんもりした小さな森が日本で4番目に大きい前方後円墳で、このあたりが大和朝廷に匹敵する大勢力があったことを物語っている。この地が桃太郎伝説の発祥の地で、小坊主だった雪舟が足指と涙で鼠を画いたお寺もあるという。国分寺は五重の塔があるだけで、なんでここに寄ったのか不思議に思っていたが、最終目の行程にその答えがありちゃんと物語の伏線となっていた。
次の倉敷は期待通り、情緒のある街だった。米の集積地として発展したので蔵が多く、地名はそこから来ているとのことだった。JR駅から歩いてすぐの倉敷美観地区には江戸時代のままの白壁の蔵が続いていて、特に倉敷川に沿った中心地区が美しい。幕府の直轄領だったために、同じ蔵の街でも会津の喜多方とは全く違う趣がある。
ここは散策と食事の自由行動だったが1時間40分では物足りなかった。ぶらりと入ったそばやでままかり定食を食べたがこれは旨かった。故郷の福井にしかないと思っていたおろしそばをメニューに見つけたので試してみたら、これもぴりからで絶品だった。あとでガイドブックを見たらやはりおすすめの店になっていた。お菓子屋では色々な黍団子を売っていた。
島根県へ向かう高速に入って、ガイドさんが羽柴秀吉の水攻めで有名な高松城の話を始め、右手遠くがその地形だと云う。私は以前この高松を四国の高松と勘違いしていたことがあり、今回城は見えなかったが川を堰き止めて湖を作ってしまうという奇抜な発想がどんな地形から生まれたのだろうか興味があった。百聞は一見に如かずで、やはりその場その時に聞く説明には読書では得られない価値がある。
蒜山高原、大山を右手に眺めながら米子で高速を降りた。昔、砂丘を見に鳥取に来た頃からみると、随分道路が良くなったものだ。米子の町は通リ過ぎて足立美術館へ直行する。つまり鳥取県はどこにも寄らず、ただ通過しただけとなる。ガイドさんの話では、大阪万博で土地成金になった足立さんが故郷への恩返しとあぶく銭で建てた美術館だそうだ。私はここへは以前にも訪れたことがあるが、田んぼの中の一軒家だったのに、今は隣りに道の駅ができ観光バスが次々とやって来る一大名所となっている。
横山大観の絵を中心に上村松園、竹内栖鳳など近代日本画家の作品が展示されているが、新進作家の大作も増えていた。なんといっても、この美術館の売り物は周囲の山並みを借景にした1万坪の日本庭園で見学者の人気を集めていた。この繁盛ぶりを見ていると、次に訪れたときにはどんな発展をしているのか楽しみである。私は河井寛次郎や北大路魯山人の作品を展示した陶芸館を見ているうちに時間切れになってしまった。
し道湖を車中から眺めて玉造温泉へ。途中出雲めのう細工伝承館に寄る。この地では今でも独特の碧玉(青めのう)を産出し、三種の神器の一つの「八坂にの曲玉」はここで造られたそうだ。といっても、若い人は「三種の神器って何?」というだろうし、こんな知識はあまり自慢にならない。玉造温泉は「出雲風土記」にもその記述がある由緒ある古湯だ。最近、市町村合併などで古い地名がどんどん失われてゆくが、玉造などは是非後世に残して欲しい。
夕食後、浴衣に下駄という格好で玉湯川に沿って大型ホテルが連なっている温泉街を散歩した。途中で安木節の実演をやっていたが、あの踊りはもともとは銀山の工夫が腰をかがめて鉱石を掬う動作が泥鰌掬いに変わったそうで、今は後継者難で伝統を伝えるのがむずかしくなっているそうだ。途中、川に熱いお湯が湧き出していて露天の足湯を楽しんだ。酒屋で地酒や地ビールを買ってきて深夜まで部屋で宴会。
「温泉マークの湯気はなぜ3本なのでしょう?」。我々は皆ガイドさんが教えてくれた通り、美人の湯に3回つかった。私は通常、旅に出るときにはその地の歴史をあらまし下調べしておくことを習慣にしている。しかし、今回のようなお仕着せの駆け足旅行では、下手な知識はかえって欲求不満の原因になると思って何も見てこなかった。ただ、私の知識では今度の旅の行程が毛利元就の領土とほぼ重なることは知っていた。
我々のガイドさんは三須さんという名前で、ちょっと日本人離れした8頭身の美人だった。バスでの移動時間が長くなるこの種のツアーでは、私はガイドさんの良し悪しでツアーの評価が決まるのではないかと思う。我々はこの点で非常な幸運に恵まれた。三須さんは私が今まで出会ったガイドの中では一番有能ですばらしい人だった。退屈となるはずの乗車時間を豊富な知識と雄弁で楽しい道中に変えてくれた。さて明日はどんな話が聞けるのか楽しみである。
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●坂本 互(さかもと わたる)
元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問 元タクシー問題懇談会会員 元イースタンモータス常務 株式会社システムオリジン顧問 東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在
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