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平成徒然草 - 坂本 互(さかもと わたる)

28稿 「ほたるの思い出」 2003.07.30

毎年梅雨入りの頃になると、日本各地から伝えられるほたる便りに心がなごむ思いがする。しかし、ほたるがニュースになるということは、それだけ日本の自然環境が荒廃しているということで、喜んでばかりはいられない。今、ほたるを見たことのある幸せな子供はどれほどいるだろうか。最近、社会的問題となっている子供の心のすさみは自然破壊と無関係ではないような気がする。
 「ビオトープ」という言葉が環境保全のキーワードとしてよく使われる。また分からないカタカナ言葉を使うと叱られるかもしれないが、日本語に直すと「本来の生態系が保たれた空間」となり、長すぎて使いにくくなる。ビオトープ(Biotop)とはもともとギリシャ語で『bio=生き物 + top=住むところ』 という意味のドイツの造語だ。

 広い意味で捉えれば森林や海洋などもビオトープと言えるが、一般的には“人間が生活・活動するところで”という但し書が付く。戦前は、日本中どこでもほたるを見ることが出来たが、今では人の手で餌になる貝が育つように川の環境を整えてやらなければ、ほたるは成育できない。現在幾つのかの地方がほたる復活に取り組んでいるが、当分ほたるの里は桃源郷のように扱われるだろう。

 東京のような大都市でほたるを見ようと思ったら、入場料を払ってホテル内の人口庭園でも行かなければならない。これは戦前でも同じことで、生まれも育ちも東京っ子の私は、蛍の光窓の雪などと歌っていても本物を見たことはなかった。それだけに光が乱舞する幻想的な光景を一度見てみたいというあこがれの気持ちは強かったように思う。

  ほたるについての記憶をたどると、何故かなんとも云えぬ懐かしくて暖かいもので胸が一杯になってくる。これは、せみやとんぼやくわがたの思い出とは全く違うものだ。今まで忘れていた記憶が、沼の底から気泡のように次々と浮かび上がって来る。それは、今では顔も名前も覚えていない田舎の農家の子供との遊びの思い出だった。

 空飛ぶ要塞といわれたB29の空襲が激しくなる頃、東京では小学生の学童疎開が進められていた。私は父母の故郷であり親類も沢山いる福井県に縁故疎開することになった。父一人東京に残して、私の一家は大野市の郊外の農家を買って田舎の生活を始めた。私は国民学校の5年生だったが、冬の炊きつけ用に近所の神社に杉の落ち葉を拾いに行ったり、自然と同調する生活が面白くてたまらなかった。

 同学年の友達も出来たが農家は家の手伝いが忙しいので、色々な遊びを教えてもらったのはAちゃんという年下の子だった。初めてのほたる狩に連れて行ってももらたのもAちゃんである。ほたるが飛ぶ頃には桑の実が紫色に熟れる。麦わらで籠を編んでそれに摘んだ桑の実を入れた。今でもあの独特の甘い味は覚えている。大野ではまだ養蚕が盛んで近所には桑畑が沢山あった。

 あたりが薄暗くなる頃、笹の葉を入れた虫かごを用意してほたる狩に出かけた。大野は地下水が豊富であちこちに自然に湧き出る泉があり、それぞれお馬清水(しょうず)とか本願清水とかのの名前で呼ばれていた。その泉は夏には泳げるほど深かったが、水が冷たいので5分と入っていられなかった。そのあたりのどの小川も清流ばかりで、どこへ行ってもほたる、ほたるだった。

 あっちの水は にーがいぞ
 こっちの水は あーまいぞ
  恥ずかしくもなく大声で歌いながら、蛍を籠に集めた。虫かごはくわがた用なので隙間が大きく笹の葉っぱに止まらせても、すぐに飛び去ってしまい、帰る頃には一匹も残っていないのだが、それが心優しいAちゃん流のほたる狩だった。そうだ、ほたるの光で本が読めるか験してみたが黄色い光は点滅するし光の量が足りなくて新聞が読めなかった。蛍の光窓の雪は嘘ぱっちだということを知った。

  ほたるには源氏と平家の2種類があり、源氏の方がはるかに大きい。かいこが桑の葉しか食べないように、ほたるの幼虫時代はかわになという巻貝しか食べない。かわになは流れのある清流にしか住めない。ほたるはさなぎから成虫になって飛び回っているのは僅か10日の命なので、捕らえてもすぐ逃がしてやるのだと教わった。

 Aちゃんは遊びの天才だった。大麦か小麦か忘れたが、口の中で噛んでいるとチュインガムのようになる。それを竹の先に巻きつけるように延ばすと鳥もち竿ができる。篠竹と自転車のスポークで杉玉鉄砲を作ったり、かえでの枝と生ゴムのチューブでパチンコを作る方法を教えてくれた。かえでの枝は左右均等に分かれるのでパチンコの正確性が増す。私はパチンコの名手になり雀とりでは100発100中の腕前となった。

 Aちゃんとの交遊は半年程続いたが、我が家が市内に引越すことになり、それ以来会っていない。ああ、もう一度子供に帰ってAちゃんと一緒に遊びたい。十数年前に、田舎に帰ったときに、あのときの郊外を訪ねたが、あたりはすっかり様子が変わって、農家もAちゃんの家も見当たらなかった。ほたるが飛び舞っていたあの川はコンクリートで護岸された溝になっていて濁った水が流れていた。

 私は、ほたるはどこでも川に住んでいて、源氏と平家の大小2種類だと思っていた。4年前にフィラデルフィア郊外のプライス邸にホームステイさせてもらったときのことである。アメリカ東部の夏はサマータイムもあってなかなか暗くならない。夜の9時頃に玄関の木々の間にほたるが飛びまわっていた。こんな住宅地の中でほたるの乱舞とは。それはうらやましい驚きの光景だった。

 なまじか蛍光灯という英語を知っていた私は、主人夫妻にmany fluorescentが飛んでいたと話したら大笑いとなった。アメリカでは単純明快 fireflyだそうだが、光る蝿ではなんだか情緒がない。形も平家の半分ぐらいでちかちか忙しく光る。餌はかたつむりで川には住まないのだという。水の中で育つのは日本のほたるだけと後で知った。やはりほたるは源氏にかぎる。

  物思へば澤のほたるも我身よりあくがれ出る玉かとぞみる  和泉式部

 これは式部が男に捨てられて、悲しく思っているときに京都の貴船の明神にお参りした時、山間の川の沢に飛ぶ蛍をみて歌った歌だ。平安時代から日本人は魂が抜け出てほたるになるという考え方をしていたようで、やはりただの虫とは扱いが違ったようだ。当時の京都市内には、淀川の支流として人工の運河が随所に流れていた筈だが、平安時代でもほたるは貴船のような人里離れた山中に行かなければ見られないということが分かって面白い。

 野坂昭如の「火垂るの墓」では栄養失調で死んでいく兄と妹の短い命を象徴するようにほたるが扱われている。節子が大事にしていたドロップの缶を駅員が投げると、中から小さい骨のかけらが三つころげ、草に宿っていた蛍がおどろいて二,三十あわただしく点滅しながらとびかい、やがて静まる。これは平家ぼたるである。宮崎駿は作者の亡き妹に対するレクイエムを見事なアニメ作品に仕上げた。

第27稿 「日本の古都はなぜ空襲を免れたか」 も読んでみる

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坂本 互(さかもと わたる)

元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問
元タクシー問題懇談会会員
元イースタンモータス常務
株式会社システムオリジン顧問
東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在

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