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平成徒然草 - 坂本 互(さかもと わたる)

26稿 「イラク戦争と京都」 2003.05.16

最近、我が家の近くに「バーミヤン」というファミリーレストランが出現した。すぐにタリバンに爆破されたあの巨大な石仏が思い浮かんた。名前から推して、アフガン料理もあるのではと期待して出かけてみたら、なんと中華料理だけだった。うーん仏像と中華。いくらか関係があるのか、それでもなかなか繁盛していた。
   過去の歴史を見ると、戦争で損なわれるのは人命だけでなく、文化財の破壊や盗難も珍しくない。最近ではアフガン戦争でカブール博物館の多くの収蔵品が盗難にあった。今回のイラク戦争では、事前に世界中の考古学者や博物館関係者がブッシュ大統領にこの危険性を警告していたにも拘らず、米軍はこの教訓を生かすことが出来なかった。

  たった数日の間に、メソポタミア5千年の歴史を刻むイラク国立博物館の収蔵品17万点が略奪で消えた。今回の作戦には、人類の宝ともいえるこれらの文化財を保護する計画は全く無かったようだ。戦車を数十メートル移動すれば略奪を防げたのに、その要請を拒否したことを世界は忘れないだろう。

 米軍が直接破壊したわけではないが、圧倒的な戦力の差が生んだ余裕の状況にあったにもかかわらず、無作為だったということは略奪者と同罪で、「そう言えば文化遺産を持たぬ国」(朝日川柳)と揶揄されてもしょうがない。 一方で、石油の採掘設備や石油省の建物だけは、いち早く確保したのがかえって目立つ結果となった。

 本来のアメリカは若い国ながら、国中に多数の博物館があり、文化遺産を大事にすることにかけては世界のどの国にもひけをとらないと思う。フィラデルフィアには最初の星条旗の星をかがったお針子の家まで大事に保存されている。特にシカゴ大学のメソポタミア・コレクションは豊富なことで有名である。

 一昔前迄は、アメリカ軍を動かす人の中には作戦技術だけでなく、文化面でもひとかどの見識を持つ人がいたといわれる。戦後そのまま占領地の行政官となって優れた業績を残したり、中には大統領に選ばれた人もいる。唯我独尊で長い付き合いの同盟国を「古いヨーロッパ」とけなすだけの今の指導者とは人間としての格が違っていたと思う。

 今回のイラク国立博物館の略奪のニュースを聞いてまず感じたのは、文化財に対する米軍の扱いが太平洋戦争の時に比べて、なんと違いが大きいかということだった。本土決戦を避けるためには心ならずも原爆を使用せざるをえなかった(アメリカの主張)ほどの切迫した戦況にもかかわらず、古都といわれる諸都市の文化財はほとんど無傷で残された。

 6大都市で唯一京都だけが壊滅を免れた。戦後アメリカは「貴重な文化財を破壊するに忍びなかった」という説を流布させたが、日本の国宝の20%、重要文化財の14%が存在する京都が無事だったことは大変な幸運であった。京都だけでなく奈良や鎌倉、ドイツのハイデルベルグも爆撃されなかっただけに、私はこの言葉をずっと信じてきた。

   「アメリカはんが残してくれはった町並みをなんで日本人が壊しますのんや」というのが景観保存運動の殺し文句となったことは、私だけでなく日本人の多くがそう信じていたことを証明している。ところが京都の何処にもその恩人を記念するモニュメントが見つからない。私はずっと京都人はなんと恩知らずなのだろうと思っていた。

 誰がその提案をし、実際に爆撃中止を命じたのは誰か。私も詳しいその事情を自分でも知りたくて少し調べてみた。そして、浦安市の図書館で昨年8月に出版された驚くべき学術的研究にぶちあたった。吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』 朝日新聞社(朝日文庫)を読んで、今更ながら愕然とした思いでいる。

 研究の基本テーマは次の通り。「文化財を守るため」に京都を爆撃するなという軍事指令はどこにも出されていなかった。京都は原爆投下の候補都市の主要な目標として指定されていたために通常の爆撃が一切禁止されていた。今や伝説となったアメリカ人学者の話はGHQの占領政策をスムーズに遂行するための作られた美談だった。

 今までの常識と正反対のこの説をあなたは信じられますか。もし、この本を読んだのがイラク戦争の始まる前だったら、私はこの本の「はじめに」の基本テーマを読んだところで「そんな馬鹿な」と本を捨てていただろう。実はこの本のおかげで、書き上がっていたこのコラムの全面的な修正を余儀なくされたしまった。

 今回のイラク戦争では、毎日のように、茶の間で双方の諜報戦の凄さを目の当たりにし、戦争ではなんでもありで敵を欺くのは当たり前ということを学んだ。かってのGHQも日本人の自尊心をくすぐることで、「鬼畜米英」でこり固まっていた日本人の敵対心のマインドコントロールにまんまと成功したのである。まことに見事というほかない。
もう少しこの本の先に進むことにしよう。

 戦争中から、どうして京都に爆弾が落ちないのかについて色々な推測が行われていた。知識人の間である噂が囁かれていた。ハーバード大学で日本美術を教えていたランドン・ウォーナー博士が政府に働きかけているというものである。祖父はハーバード大学の学長で、妻はT.ローズヴェルトの姪という名門の人物なので、政府に顔がきくのではないかという安易な推測から出たものである。

 戦後、この噂に真実のお墨付きを与えたのはGHQの民間情報教育局のヘンダーソン中佐で、彼はウォーナー博士の教え子で日本文化の研究者でもあった。1945年11月11日の朝日新聞に、『京都・奈良無傷の裏 作戦、国境も越えて人類の宝を守る。米軍の陰に日本美術通』の記事が出て、ここに「そうあってほしい」という思いが『ウォーナー伝説』として確立された。
ところがどういうわけか本人自身はこの説を一貫して否定しているのである。

 彼はロバーツ委員会の委員として、「ウォーナーリスト」と呼ばれている日本の文化財のリストを作成したのは事実だが、この委員会の目的は文化財保護とは全然別のものだった。ウォーナーが自分の功績を否定すればするほど、「東洋的な謙遜ぶり」とか「謙虚で純粋なはにかみやさん」という評価が定着し日本人の間での評判はますます高くなった。戦後に彼が来日した際には熱狂的な歓迎振りに本人が当惑したそうだ。

 1955年にウォーナー博士は73歳で亡くなったが、日本政府は外国人に与えられる最高の栄誉である勲二等瑞宝章を授与した。ここにおいて、「ウォーナー伝説」は日本政府公認の「美談」となったのである。その後追悼式や法要が各地で行われ、6箇所に記念碑が建立された。京都では霊山歴史館に幕末の志士と並んで立っている。さきに京都人は恩知らず言ったのは、単に私が知らなかったというだけだった。

 さて, ウォーナー伝説は誤りであり、何ら根拠を持つ話ではなかった。それでは、京都、奈良や鎌倉はなぜ空襲を免れたのであろうか。その真相については次稿で紹介する。

第25稿 「世界水フォーラム」 も読んでみる

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坂本 互(さかもと わたる)

元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問
元タクシー問題懇談会会員
元イースタンモータス常務
株式会社システムオリジン顧問
東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在

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