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平成徒然草 - 坂本 互(さかもと わたる)

23稿 「あなたに故郷はありますか」 2002.11.29

北朝鮮に拉致された5人が帰国してからは、その動静が気になって私は毎日のようにテレビのニュースを見ないではいられなくなった。北朝鮮当局は日本のマスコミは騒ぎすぎだなどと非難しているが、そうではないと思う。正直云って、私も含めて多くの日本人は今まではこの事件を他人事と考えていたのではないか。それが実際に生身の被害者の姿を見て、本人と家族の痛みがいかに大きかったかを知り、それまでの無関心が恥ずかしいと感じるようになった。
 テレビの画面には、涙で眼をぬらしながら首をふりふり懸命に、自分で書いたメモを読みあげる曽我ひとみさんの姿があった。それは帰国直後のひとみさんとは別人だった。

 『皆さんこんにちは。二十四年ぶりに古里に帰ってきました。とってもうれしいです。心配をたくさん掛けて本当にすみませんでした。今わたしは夢を見ているようです。人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます。空も土地も木もわたしにささやく。「お帰りなさい。頑張ってきたね」。だからわたしもうれしそうに「帰ってきました。ありがとう」と元気に話します。皆さん、本当にどうもありがとうございました。』

 はじめは単なる記者会見の弁として聞いていた私だが、そのうち驚いた。心の底から帰郷を喜んでいる思いが立派に詩となっていた。同時に同じ北国育ちの詩人の有名な一節が心に浮かんできた。『ふるさとは遠くにありて思うもの そして悲しくうたうもの』
このふるさと感は日本人共通のものである。突然非情な暴力で他国に連れ去られ、言葉も通じない、帰国できる見込みもない境遇の中で、望郷の念がいかばかりだったか。それが感じられるだけにひとみさんの詩には言葉以上の重みがあった。

 5人の被害者は程度の差はあるが、帰国したばかりに感じられた固さやぎごちなさが、故郷の空気に触れてまるで氷が溶けるようにだんだんとゆるんでいくように思われる。
「ふるさと」は言葉では説明できないほど壮大な癒し装置ではなかろうか。今まで私はそんなことを考えたこともなかったが、この際、改めて「ふるさと」とはなにかということを自分のケースも参考にして考えてみよう。

   ひとから「お国はどこですか?」と尋ねられたら、私は迷わず「福井県の大野というところです」と答える。さらに「北陸の小京都といわれ名水の里としても有名です。」と聞かれもしないのにお国自慢をする。すると大概は、「ああ、朝市やお清水(おしょうず)を紹介しているのをよくテレビで見ます。とてもいいところですね。」という答えが返ってくる。(ははは、これもお国自慢)

 しかし、よく考えれば私の生涯で大野に居たのはたったの8年にすぎない。私は東京の牛込区下宮比町(現在の飯田橋)で生まれた。小学校は厚生年金病院の前にある津久戸尋常小学校へ通っていた。5年生のとき空襲を避けるため父母の故郷に縁故疎開し、そのまま高校を卒業するまで大野で過ごした。大学も就職も東京だったから、私の人生の殆どは東京での生活だったことになる。それなのに私の意識では、どうしても東京を「ふるさと」とは考えられない。

 毎年お盆の頃になると、民族大移動のような帰省ラッシュの様子がテレビニュースで映し出される。一般的には、「ふるさと」は田舎ということになっていて、都会に住む人が里帰りするところとされている。私も両親が生きていたころは、妻の里も同じということもあって、毎年お盆には一家をあげて大野に帰省していた。しかし生まれも育ちも東京の我が家の子供達にとっては、大野は田舎であることは間違いないが、「ふるさと」としての認識はないようである。

 最近は都会で幾世代も住んでいる世帯も多くなっているので、この意味での「ふるさと」を持つ日本人は相当少なくなっているものと思われる。不思議なことに、田舎なぞ実際には持たない人でも「ふるさと」のイメージは強く持っていて、とにかく都会を離れて海や山へ行きたがるようである。日本人のもつ「ふるさと」は子供の頃唄った童謡や唱歌の影響が甚大だと思うが、もっと深層に民族の記憶のようなものがあるのかなとも思う。

 とりあえずは、子供の頃唄った唱歌の中にそのイメージを探してみよう。なんといっても代表作は高野辰之作詞・岡野貞一作曲 の「故郷」だろう。特別養護ホームでも、この歌のときだけはアルツハイマーのおばあさんも合唱に参加するそうである。この歌一つだけでも日本人の抱く「ふるさと」の真髄を説明することができる。

うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川  
夢は 今もめぐりて 忘れがたき ふるさと。

いかにおわす 父母 恙なききや ともがき  
雨に 風に つけても 思いいずる ふるさと 

こころざしを はたして いつの日にか 帰らん
山は 青き ふるさと 水は 清き ふるさと 

 この他にも懐かしい唱歌が沢山ある。日本人はこれらの歌声の中に「ふるさと」の原風景を見ているのである。あなたはこのうち幾つ歌えますか。次のHPで歌声が聞くことができる。「日本の唱歌」(http://www2.odn.ne.jp/hirobo/syoka/syoka.html)

「朧月夜」「春の小川」「春よ来い」「春が来た」「初恋」「若葉」「こいのぼり」
「浜辺の歌」    「夏は来ぬ」「花火」「蛍」「たなばたさま」「シャボン玉」
「里の秋」「夕やけ小やけ」「虫の声」「紅葉」「ペチカ」「どんぐりころころ」
「赤とんぼ」「村のかじや」「七つの子」「汽車」「箱根八里」「椰子の実」 

 「ふるさと演歌」という言葉があるように、演歌も「ふるさと」を歌う。面白いことに何故か演歌では「ふるさと」は北国である。日本人のルーツが大陸渡来系が多いことの証明とも考えられる。ともあれ、そこには日本人の「ふるさと」の心象風景がある。
以上の唱歌や演歌から集めた「ふるさと」のイメージを構成する要素はつぎのようなものとなる。

大自然、山、谷、川、四季、花、虫、魚、田舎
生まれたところ、育ったところ、いずれ帰るところ
父母、ともだち、遊び
このうち何が重要なものか検証してみよう。

 「ふるさと」を想うとき、誰もが時空間を遡る旅をすることになる。そこには大自然の懐に抱かれて子供の自分がいる。緑の山があり、 季節の変わり目ごとに花が咲き、鳥が鳴く。海や川では釣りをしたり泳ぎを楽しむ。コンクリート・ジャングルである大都会ではこうはいかない。 「ふるさと」たる資格に欠けるようである。山や川では独りで遊ぶことはない。そこには必ず友達や兄弟とのかかわり合いがある。特に水の記憶は強烈である。

 辞書で「ふるさと」をひくと大概「生まれ育ったところ」と書かれているが、生地は関係なく育ち盛りになってからの記憶が大切だ。田舎から都会 に働きに出た多くの日本人のパターンでは故郷には父母が待っているが、本当に懐かしいのは母親だろう。「背中」しか見ていない親父よりも、 懐に抱かれたははの乳の匂いが忘れられない。この母のイメージには遠い古代から大自然と同じ意味がある。大自然がある限り両親が亡くなっても 「ふるさと」への想いは変わらないのである。 

 さてそろそろこの稿の纏めに入ることにしよう。 日本人の深層心理の「ふるさと」で重要な要素は大自然とそれに結びついた人間関係ではないかと思う。私にとっては、 大野盆地を流れる4つの川と小学校から高校まで一緒だった大勢の友達である。そろそろ古希に近くなったが、 今年の同窓会は116名が集まった。残念なことは九頭竜川と真名川に大きなダムができたために、 今や現実の川は思い出の川の面影もない。今や「帰るべき」あるいは「帰りたい故郷」は失われつつある。

第22稿 「千と千尋の神隠し」 も読んでみる

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坂本 互(さかもと わたる)

元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問
元タクシー問題懇談会会員
元イースタンモータス常務
株式会社システムオリジン顧問
東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在

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