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月日がたつのは早いもので、ベネチア国際映画祭で黒澤監督の『羅生門』がグランプリをとってからもう50年以上になる。それ以来、日本映画は世界の映画祭にとってなくてはならないものとなり、1950年代から60年代は多くの部門で優秀作が続出し、金賞を貰ってもそれほど驚かなくなった。70年代以降は日本映画は停滞期に入り、それと共に日本人の映画離れの傾向が著しい。あの栄光はどこへ行ったのでしょう。 近年では97年にベネチア映画祭で北野武監督の『HANA-BI』とカンヌ映画祭で今村昌平監督の『うなぎ』がグランプリをとっただけである。昨日、小柴昌俊・東京大学名誉教授がノーベル物理学賞を受賞というニュースが報じられ、日本人として3年連続の栄誉となった。これは冗談であるが、回数だけで見ると日本人にとって国際映画祭の方がノーベル賞より門が狭いようである。(始めの原稿でこのように書いた夜、今度は島津製作所の田中耕一さんが化学賞受賞とのニュースが飛び込んで来た。これでは全くの冗談とはいえなくなった。)
さて、ドイツ・ベルリンで開催された「第52回ベルリン国際映画祭」で、日本から出品された宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」が、最高賞にあたる金熊賞を受賞した。迂闊なことに、始めはこのニュースがどんな意味を持つか判らなかった。アニメ映画が同賞を受賞するのは初めてである。子供向けとされてきたアニメ映画が実写映画と同等の芸術的価値を認められたと同時に、日本のアニメ映画の国際的商品力を示す、映画史上に新たな一ページを書き加える快挙である。この解説記事ではじめて、はやおさんが凄いことをやってのけたのだなということが納得できた。
上映されるのが待ち遠しく、早速満員の劇場に出かけて行った。私の大好きな宮崎駿さんが遂にあの偉大なディズニーを超えた作品とはどんなものかとわくわくしながら。映像の美しさは以前から折り紙つき、八百万の神や道教の神様まで総出演の舞台は日本人にとっても異国情緒たっぷり、筋書きも面白く分りやすい、主役のいじらしさに知らぬ間に感情移入させられて、120分を休むことなく楽しめた。だが今までの宮崎作品となにかがちがう物足りなさが残った。心の深いところからくる情感が起きないのである。
これがアニメ最優秀賞とかいうものでなく金熊賞だけに、他の人はどのように感じたのか余計に心配になった。宮崎さんの受賞の感想もあまり嬉しそうでなかったのも気になった。しかし、その後の空前の興行成績を見る限り、そんな心配は無用で私の鑑賞眼が曇っていたということになる。あとは映画大国アメリカの動向だけだ。特にヨーロッパでは高い評価を受けた「顔なし」が、物事をはっきりさせるさせることを求めるアメリカ文化に受け入れられるかが心配だった。
そんな折、ボストンの知人からこの映画についての批評やら感想やらを述べたながいながいメールが届いた。雑誌の編集者だけあって、たった一回しか観ていないのに、よくこんな細かいところまで気が付くなと感心した。私も人からCDを借りて、もう一度映画を見直してみた。なるほど、この映画は観る人それぞれにいろいろな解釈が可能となることを発見した。案外この辺が受賞の真相かもしれない。
------------------------------------------------------------------------------ 「千と千尋の神隠し」(こちらでのタイトルは「Spirited Away」)の劇場上映は日本より大分遅れて9月27日からとなったが、映画評論家がこぞって絶賛していた前評判通り素晴らしいものでした。平日の夜10時からの回なので空いていると思ったら、結構人が入っていてまず驚いたけれど、辺りを見回すと来ていたのは日本人とアメリカ人のカップルが数組、あとはアニメファンみたいな人が多かった。
映画がいよいよ始まるとき、最初に「Walt Disney Presents」という画面になったら、低くブーという声が起こり、次に「スタジオジブリ」という画面になったらワーという歓声とともにパチパチと拍手が沸き起こりました。その瞬間、「あ、オタクの人も結構来ているんだな」と認識したわけです。 映画が始まったら一気に映画の世界に引き込まれてしまって、2時間ちょっとがあっというまに過ぎました。終わってすぐに主人と「今度は甥を連れて英語版で見てみよう!」と合意しました。
さて作品にちりばめられたメッセージについては、いつも宮崎はやおさんの作品に共通している人間による自然破壊などへの警告や、忘れてはならない人間の心とかが見られましたが、「もののけ姫」の場合はそれが全面に押し出されて強烈でしたが、今回はもっとファンタジーの世界を楽しめる作品だったと思います。
各登場人物はよくもこんなに創造できるなといつもながらに感心しました。お母さんがあまり温かくなく、お父さんは子供が怖がるのに全然耳を貸さないでどんどんトンネルの奥へと進んでしまう。二人とも子供よりも自分をもっと優先させているような親という印象を受けました。若い親が子供を虐待したり、パチンコに興じて子供を車中で死なせてしまったりというような、大人になりきれていないのに親になってしまったような人達を象徴しているかのようでした。(それほど酷くは描かれていなかったけれどね)。
店の人もいないのに勝手にご飯を食べ始めてしまう態度も非難の対象になるべきものだし(その罪については後に「湯婆婆」が言及している)、そのあさましい食べ方は人間の姿をしているときから豚を連想させました。聖書の「七つの大罪」の一つに「大食い」があるけれど、彼らは脇役だからおいておくとして。
劇場で最も笑い誘っていたのは「坊」が変身したネズミと、蝿のような虫に変身した「湯バード」でした。「銭婆」の家に行く途中、電車の中で二人?仲良く窓の外を見ているときに尻尾でポンポン弾みながら見ていたり、そのあとまたポジションを変えたり、電車を降りて歩いているときに、ネズミが重いからハエが疲れてきたら、今度はネズミが背中にハエを乗せて歩き始め、千が『肩にのってもいいよ』と言ったらプイとすねた顔をしてそのままトコトコ歩いたり、とっても可愛かった。「銭婆」のお家を辞するときに「チュ」といってキスしたのも可愛かった。
甘やかされて育ったわがままな「坊」が、千と出会うことによって心が成長していく過程もよかった。魔法が解けているのに各々ネズミと蝿の姿のままでいることを選んでいた彼らは、旅を通して世界を少しでも見たり感じたりすることが興味深く世の中を知ることが出来、これからもそのような生き方をしていきたかったから、元の姿に戻ることを拒んだのかなあと思いました。「ハク」が「湯婆婆」との約束を守ることを要求したときに『そう簡単にはいかないさ』と約束を反故しそうになったとき、元の姿に戻った「坊」が『千を泣かしたら許さないぞ』と、初めて自分以外の人の為に行動をおこした場面で、「坊」の成長ぶりがよく表れていました。
双子だけど「湯婆婆」と「銭婆」は性格が全く違いましたね。「湯婆婆」は強欲でケチ、自分と「坊」のことしか考えない自己中心的な魔女。権力と金に弱いタイプで、お客さんにはへつらうけれど、使用人には威張って命令ばかりで感謝の気持ちがない。「腐れ神」がやってきて、千がお風呂のお世話をしなくてはならなくなったとき、千を案じるどころか、『これからどうなるのか楽しみだネー。』という心しかなかったり、使用人が貰った金を全部没収して自分のものにしてしまったりと欲深い。でも掟だけは(嫌々ながらも)ちゃんと守るという面も持っている。自分の双子の姉妹の事を悪く言ったりするのもよくない。最初は「湯婆婆」の言葉を真に受けて、「銭婆」も悪い魔女かと思ったら、見かけとは裏腹に人の心がわかる心の温かい魔女だった。
あとはトトロの「真っ黒クロスケ」みたいな、「釜爺」の所にいた煤(すす)のような生き物も、初めて千がその場所にやってきて重たい石炭に潰されてしまった煤を助けてあげたら、みんな真似をして石炭の下敷きになった場面が凄く可笑しかった。その後は千の靴を保管してあげたり何かと優しかったね。「釜爺」が言った『お前があいつらの仕事を奪ったらあいつらは存在できなくなるんだ。』といった言葉も心にしみました。「釜爺」は「未来少年コナン」の船長さんみたいな存在だね。ぶっきらぼうだけど優しくて正しい心を持った人。幾つもある手を自在に使って石炭をどんどん燃やしたり、お水を飲んだり、背中を掻いたり、薬草を取ったり見ていて楽しかった。
一番好きだったのは、千や「ハク」よりも何よりも「顔無し」でした。最初は橋に立っているだけで存在感が無かったのが、後からどんどんキャラクターが変わって暴れたりして最初から最後までとても印象的でした。名前が「顔無し」というのからもわかるように、彼自体の個性はほとんどないけれど、彼に関る相手の心が反映して性格が変わるのだと思いました。
千は最初はちょっと甘ったれで挨拶もろくにできない子供だったけれど、子供さゆえの純真な心をもっていて、最初から「顔なし」に対しても適度な礼を以って接していたから、きっと「顔なし」は千のことが好きだったのでしょう。押し付けがましくなくそっと蔭から見守っていて、汚いお風呂を洗うときなど手伝って札を沢山取ってきてくれたり。でも千に『こんなにいらない。ひとつでいい。』といわれると『ぁ、ぁ、』といって自分の好意を受け入れて貰えなくて困惑して消えていってしまったり。
中盤以降で、欲深なカエルがみんなが寝ているときにこっそりまたお風呂場に戻って、金が落ちていないか探していたら、カエルの心を見透かすかのように「顔無し」が次から次へと金を出して、それでも飽き足らずまだ欲を出して近づいてきたカエルを食べてしまうのも、欲張りはいけないよ、という教えなんだと思いました。そのあと、強欲なカエルを飲み込んだ「顔無し」が彼の性格が乗り移って(体型までも変わって)、金にまかせてお料理を餓鬼のように食べたり横暴な振る舞いをしたりして、そんなお客は嫌だと思いながらも金ほしさに取り巻く人達もおろかだし、そんな化け物となった「顔無し」にも千はこれまでと変わりなく接して『あなたも元いたところに帰ったほうがいいよ。』というところ、そういうお金を持っているとか権力があるとかで相手によって態度を変えない千の公平な態度が素晴らしかった。
にが団子を食べさせられて怒った「顔無し」が追いかけてくるのを利用して、再び油屋の外に出したり、千の機転が利いていました。油屋で働いたり、両親が豚になって辛い思いをしたり、いろいろな事を経験して千もただの甘ったれではなくて心が成長したようでした。飲み込んだ3匹を吐き出した後は元のシャイな「顔無し」に戻って、ずっと千の後をついていくのも可愛かった。千にいっしょにいられないと言われたときに「寂しいー」と泣いたところとか、いろんな要素を含んだ顔無しが物語に深みを与えていました。
最後に重要な登場人物の中で唯一ふれていなかった「ハク」について。「ハク」は実は私にとって不可解な部分が多かったので最後に回しました。最初に千尋に会ったときから優しくて彼女の味方だったのに、一方では、油屋の従業員からは「湯婆婆」の手先として嫌われていたり、竜の姿に形を変えて外で善くないことをしたりしている。「湯婆婆」に魔法を教えてもらうために、汚い仕事に手を付けていると「リン」が言っていました。
深読みするならば、本人はよい心を持っていても、会社とか大きなものに属したときには、上の決定にしたがって、好き嫌いに関らず嫌なこと、悪いことにも手を染めなくてはいけないという日本社会のヒエラルキーを風刺しているとも考えられます。自分本来の名前を取り上げられて、「湯婆婆」から与えられた名前を使って働いている彼らは、課長とか部長とかいう役職名を使って働いている企業戦士とも考えられるかな。
映画の最後で「ハク」が実は川だったというのも驚きでした。川すなわち自然と子供(千尋)は親しい関係にあり心が通い合っている。大人は自然と共存するどころか、自然を破壊して開発してしまうことが、「腐れ神」の体から産業廃棄物が次々と出てくるところに描かれていたね。臭くて汚いそれらの物質は本人を病気にするだけでなく、周りまで嫌な空気にしてしまうところなど、まさに公害という感じです。「ハク」はそういった産業の犠牲者の一人(?)で、千尋が赤ちゃんの頃はきれいな川だったのに、今ではすっかり埋め立てられて無くなってしまっている(だからあの世界に行ったんだと思うけどね)。
それから今度は映画全体について話そうと思いますが、これは主人が映画を見た直後に言っていたことなんだけど、 この映画にはいろいろなメッセージがちりばめられていて(それは各登場人物に照らし合わせて話したけれど)、 「不思議の国のアリス」とか、私が知らない他の西洋にある童話などがミックスされて作られているみたいと言っ ていました。話しの裏には数々のサイコロジカルなエピソードがあるので、母親にもお薦めしていました。
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●坂本 互(さかもと わたる)
元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問 元タクシー問題懇談会会員 元イースタンモータス常務 株式会社システムオリジン顧問 東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在
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