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平成徒然草 - 坂本 互(さかもと わたる)

16稿 「湯島天満宮」 2002.02.19

私の会社を尋ねて来る人は、「外神田」と云われてもピンと来ないらしい。 私もこの地名は差別的な感じがしてどうも好きになれない。そこで、「秋葉原の電気街の上野寄り」と説明すると、 すぐ判ってくれる。もし江戸の頃なら、「神田明神下の銭形平次親分の住まいのそば」というところだ。 昔から商家・職人の町で、その伝統が今に続いているのが面白い。神田山の上に建てられた神田明神は平将門を祀った神社である。 明神下はその麓の街で決して「神田のはずれ」ではない。
 よく、お昼休みに近所を散策するのだが、まさに名所・史跡だらけで新しい発見をすることが多い。 私は昼食は殆ど麺類に決めているが、付近には美味くて安い店が多く、新しい店を開拓するのも楽しみの一つである。 マクドナルドや牛丼屋は私にはご縁がないが、値下げ競争をしてくれたおかげで、麺類の価格にもデフレ効果が及んだ。 なにより良かったのは不味い店が淘汰されたことである。ついでながらアメリカにはマクドナルドという店はない。 あのmのマークのチェィン店は「メク・ダナゥルズ」と呼ばれていた。

 半島のように突き出ている湯島台地へは、 必ず坂を登らなければならないが、会社から一番近いのが湯島中坂である。中腹に説明板が立っている。

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 「御内府備考」に「中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼び名とすといふ」とある。 江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた。したがって 中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。
 また「新選東京名所図会」には「中坂は天神町にあり、下谷区に下る急坂なり。 中腹に車止めあり。」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。
このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発展した盛り場で、かっては置屋、待合などが多かった。

                   まゐり来て とみにあかるき世なりけり
              町屋の人とその人の顔かお   (釈 超空)

            郷土愛をはぐくむ文化財   東京都文京区教育委員会
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 説明にはなかったが、門前町には遊郭もあったそうである。そのせいかこの辺りには今もラブホテルが多い。 昔も今も天神様が大人気なのは、学問ではなくて本当は粋な厄落しをしてくれるからかもしれない。 この坂は今はなだらかにならされて、自動車が楽々登れる。しかし、近くには実盛坂とか天神男坂など、 昔のままの石段が残っていて、崖地に作られた道だったことがうかがわれる。

   坂を登りきると、銅製の鳥居が見える。湯島天満宮の創建は古く、南北朝時代(14世紀)と伝えられる。 太田道灌が社殿を再興、徳川家康は江戸入りの際、神領5万石を寄進している。菅原道真を祭るこの神社は、 別名湯島天神としても広く知られている。また、江戸時代には谷中感王寺(天王寺)、目黒不動と並び3富と呼ばれ、 幕府公認の富くじを発行した。

 本殿に御参りをして境内の梅林の中でひと休みしていると、 普段は忘れていた幼い頃の記憶がメロディーと共に浮かびあがってくる。天神様は日本人の心の中に、 あのわらべ歌と共に原風景として住みついているように思われる。

     通りゃんせ 通りゃんせ
   ここはどこの 細道じゃ
     天神さまの 細道じゃ
   ちっと通して くだしゃんせ
     ご用の無いもの 通しゃせぬ
   この子の七つの お祝いに
   おふだをおさめに まいります
     いきはよいよい 帰りはこわい
   こわいながらも
     通りゃんせ 通りゃんせ

   2月の梅祭りの頃は丁度受験シーズンになるが、本殿の周りは合格祈願の絵馬札で一杯になる。 絵馬といっても、ここでは牛やだるまの絵柄も多い。絵馬札を丹念に読んでみると志望校の欄には大概三つくらい校名が書いてある。 受験生も大変だが、頼まれる天神様もご苦労なことである。また湯島天神は江戸名所としても名高く、いつも修学旅行の生徒の姿が絶えない。 最近は、バスを使った全員観光よりも、少人数のグループで好きなコースを回る方が多いそうだ。

 「すみません、今お忙しいですか?」鳥居のそばで声を掛けられた。見れば、かわいい女子高生である。外に5人の連れがいる。 「申し訳ありませんが、シャッターを押していただけませんか?」。こんなに丁寧に頼まれては、とても断れるものではない。 「よっしゃ」と引き受ける。とたんに「ありがとうございます」という声と同時に、全員のバッグから一斉に使い捨てカメラが飛び出した。(うひゃー)

 梅林の中には迷子探しの奇縁氷人石がある。これはNHKの時代劇のドラマに出てきた。泉鏡花作の新派の名作『婦系図』の記念碑や 鏡花の筆塚もある。乗りかかった船と覚悟を決めて、プロのカメラマンのように場所やアングルを変えてぱちぱち撮ってやった。

 仲良くなったついでに民俗学のフィールド調査を試みた。6人中2人は「通りゃんせ」をお母さんから習って知っていたが、この歌で遊んだことがある 子は一人もいなかった。今は幼稚園でもこの遊びはやらないのか。塾通いに忙しく、遊ぶにしても同年齢の子供同士でしか遊ばないようである。当 然のことながら、菅原道真について正確に知っている子は先ず居ない。「柳の枝に飛びつく蛙を見て、字を稽古した人かしら」これなんか人間違いだが、 なかなかいい線を行っている。

 お参りの帰りは、男坂という角が磨り減っていてこわい石の急階段を通る。降りてすぐの左手に民家と肩を並べるように小さ なお寺が建っている。道真公が九州に流されたとき、冤罪をそそぐために聖天様に祈念された。その由緒により因縁浅からざる聖 天様を湯島天神境内に奉安した。明治維新まで湯島天神の末社であったが、神仏混こうの禁令発布の神仏分離の法に従って湯島天神と 本末関係を絶ち、天台宗・心城院と改めた。江戸三十三観音札所の第七番の寺でもある。

 狭い境内の左側に「柳の井」の看板があり、次のような説明が書いてある。「江戸名水の一つであり、関東大震災の時湯島天神の境内に 避難した多くの罹災者達の唯一の水として人々の命を守った。「この井は名水にして、女の髪を洗えばどのように結ばれた髪もはらはらほぐれ、 垢落ちる。」徳川時代の文献にはこう記されている。」
 更に、未だ枯れずに区の防災井戸の指定を受けているそうだ。右側に「弁財天放生池」があり、沢山の亀がいることから「亀の子寺」と親 しまれているそうだ。

 今年の冬は例年よりかなり暖く、各地で梅の開花が20日前後早いとニュースで報じていた。 そういえば我が家の近所でも、1月末から紅梅のよい匂いが漂っていた。節分が過ぎて直ぐに、あわてて湯島天神に行ってみた。 そう広くはないが300本ばかりの梅林がある。早咲きの種類でもまだ2分咲きで香りも未だであった。それからは心配で毎週のように 開花状況を確かめにお参りに来ている。

 20日頃から漸く満開に近い木が見られるようになった。湯島の白梅というように、ここには殆ど紅梅はない。桜は一斉に満開になって、 同時に散ってしまうが、梅は枝の太い方が花でも、枝先はまだ蕾である。そのため花期が長く、早咲きと遅咲きがあるので、 梅林は一ヶ月以上楽しめる。
 今年の梅祭りは例年より人出が多い。今年は25年振りの大祭で、しかも菅原道真公の1100年の記念大祭なのだ。


第15稿 「2001年を振り返る」 も読んでみる

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坂本 互(さかもと わたる)

元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問
元タクシー問題懇談会会員
元イースタンモータス常務
株式会社システムオリジン顧問
東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在

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