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今年、浦安に郷土博物館が完成したので、早速出かけてみた。そこには昔の資料が沢山集められているが、今まで聞いたことのない面白い話を見つけた。 明治時代に総武線が浦安を通る計画があったというのである。もし実現していたら、浦安は陸の孤島などと云われることもなく、もっと早くに開けていたに違いない。 浦安は昔から何回も大火事に見舞われており、今でも年末には市をあげて「火の用心」運動が行われる。葦の原っぱばかりの村の中を、石炭を焚いて機関車が走ることなど論外だったのであろう。 昭和30年代半ば、個人タクシーを認めた楢橋運輸大臣の頃である。浦安の沖合600万坪を埋め立て、国際空港を建設するという計画が持ち上がった。 当時の浦安では、本州製紙江戸川工場からの工場廃水が原因で漁業がだめになっていた。もしこの計画が実現していたら、距離やロケーションの点でボストンのローガン空港に似た便利な空港が出来ていたに違いない。 勿論、成田空港もディズニーランドもなかったことになる。 地元での強い反対がなかったのに、この計画は何故か消滅してしまい、埋め立て計画だけが進行したのである。 しかし、どちらが良かったかという論議は、今となってはあまり意義がない。
よく晴れた日には、JR京葉線の車窓から富士山が良く見える。 同じように東京ディズニーシー(TDS)の中央に聳え立つシンボルの活火山は、見通しさえよければ浦安じゅうのどこからでも眺めることができる。 始めのうちは「あれは富士山だろう、それにしては随分急だ、いや浮世絵の富岳がモデルだから」などと噂していた火山が完成すると、市民の間にプレオープン特別招待への期待が高まって行った。
18年前の東京ディズニーランド(TDL)の時にも市民特別招待があったが、このときは全市民を半分に分けた。 今度は人口が当時の2倍以上になっているため4班に分けられた。 誰もが早く見たいと思っているときに優先権を貰うと、我々平民はなんだか貴族になったような優越感を味あうのである。 この特別招待の引換券が街の金券ショップに出回っていると新聞に出ていたが、せっかくの夢をお金に替えてしまうとは。 可哀想に、心の貧乏症は一生治らない病気である。
TDLの隣に第2のテーマパークを作るという計画は、13年前にTDLの成功を祝う5周年記念の席上で発表された。 様々な提案があり一時はMGMスタジオに決定していたが、オリエンタルランド社が1000万ドルの違約金を払って計画を白紙に戻したと云われている。 東京ディズニーシーは『海をテーマにした世界で始めてのディズニーパーク』がうたい文句で、テレビでそのさわりだけが紹介されていたが、まだマスコミ関係者だけしか入場していなかった。 指定されたお盆過ぎの土曜日、妻と私は期待に胸をふくらませて、朝一番から夜最後までがんばるぞと張り切って出かけて行った。
もうひとつ私には、お手並み拝見というか一寸意地の悪い楽しみがあった。私は一年以上前にディズニーリゾート一周のウオーキングを試みたことがある。 金網のフェンスの破れたところから潜り込んで、江戸川の流れを終点の河口近くまで下ると、オフィシャルホテル群の裏手に出る。 江戸川の堤防が終わるところを左に行くと、釣り人しか入らない東京湾の岸壁が続いている。 その岸壁の奥まったところに、ホームレスの小屋がけが沢山並んでいるのにびっくりした。 浦安の街ではホームレスの姿を見かけることがないだけに、この私の探検談に対する反応は皆同じ「うっそー!」。
新宿新都心でホームレスの人達が大勢追い払われた騒ぎを知っていたので、私は彼らが大挙してこちらに流れてきたのかなと思った。 これだけのホテルがあれば、街をうろつかなくても食料には事欠かずにすむ。 近くには浦安市の最新鋭ごみ焼却場があり、小屋を作る材料にも困らない。 見ると、トラックのバッテリーを10個程も並べて、テレビでも観ているのかなと思わせる小屋もあった。 そこからは工事中のTDSがよく見えた。ということはTDSからもバラック集落がまる見えということになる。 オリエンタルランド社は他人の墓地を移動させるほどの政治力をもっているが、生きた人間はそう簡単には動かせまい。 これをどう解決したのかが私には興味津々であった。
TDSには車4000台が入る5階建ての立体駐車場がある。 そして案内通知には、「お車でいらした方は浦安市民だと云ってください」と書いてあった。 そもそもこの駐車場ビルの用地は、浦安市が運動公園の一部を取り壊して割譲したものである。 その交渉が市民の知らないところで行われたことが、市議会で大問題となった経緯がある。 私は案内状の文面に「おかげでこんな立派な駐車場が出来ました。どうかご覧ください。」という意味が込められているように感じた。
私達は始めはバスで行こうと相談していたのだが、そんな訳で車で出かけた。 大通りに出るところでもう大渋滞だ。 道路が全く流れていない。 すぐ家へUターンし、車をおいて再出発。 バスは渋滞にはまって動けない。 浦安市民は皆、自転車か徒歩で陸続と行進している。 歩道は狭くて傾斜がきつく、こんなに大勢の人が歩くようには作られていない。 そのうえ自転車が一緒なので危険この上もない。
このとき、毎年大晦日に浦安市一帯が大渋滞になるのは、TDLのカウントダウンのせいばかりではなかったことに思い当たった。 都会の人は自家用車を保有しても、「いつでも使えるという安心感」だけに満足していなければならない。 車を持っている人が皆一斉に使用したら、道路なんか幾ら作っても足りないということを改めて痛感した。 招待日のように、バスの時間が当てにならないようではこの先困ってしまう。 自家用乗用車の使用を制限して、自転車専用の道路を作ったり、バスを優先させる交通政策が必要となることを思い知らされた。
今回の招待案内は浦安市役所から各家庭に送られてきた。 このことからも判るように、浦安市とオリエンタルランド社の間には、おおむね友好な関係が続いていた。 ところが13年前、浦安市は突然千葉県企業庁から、決定済みの墓地公園の土地を払い下げることが出来なくなったと告げられた。 オリエンタルランド社から公園計画にクレームが付いたというのである。 今ならその距離が近いことが判るが、当時はTDKからはるかに離れた墓地公園が何故ディズニーのイメージを損ねるのか。 そもそも墓地公園も次のテーマパークも双方共、まだ何が出来るのか判っていなかったのである。
「一民間会社の都合で、何故地方自治体の計画が振り回されなければならないのか」という浦安市と「お墓など出来たらテーマパークのイメージが台無しになる」というオリエンタルランド社の意見が真っ向からぶつかった。 両者の険悪な空気は、一時舞浜駅の設計検討委員会までストップさせてしまったほどである。 結局ある人が仲裁に入って、浦安市は運動公園用として広い土地を獲得する代わりに、墓地公園計画をはるか遠く離れた場所に移すことを承知したのである。
昨年わざわざ、何処にどんな墓地公園が出来たのか見に行ってきた。 なるほど、場所はディズニーリゾートからは最も遠い、浦安最東端の海岸である。 そこには、ゴルフやカラオケを一緒に楽しんだ近所のTさんが眠っている。 広い芝生の中に同じ形をした西洋式の低い墓石が整然と並んでいる。 ○○家という墓石もあるが、「梵」や「悠」とかの絵漢字一字のもの、テニスのラケットを描いたもの、自作の詩を彫ったものなどユニークな墓石も多い。 規模は比べようもないが、昔訪れたサンディェゴのアメリカ海軍墓地に似た雰囲気がある。 浦安市民の私にも、死んだらここに入る権利があるのだが、俳句でも彫ったお墓も面白いななどと思ったものである。
このような墓地公園ならTDSのイメージを損なうことにはならないと思うのだが、やはり日本では、墓地ーお寺ー墓石ー樹木ー竹薮ー暗いー幽霊 という連想ゲームになるのはやむをえないことなのだろう。 こういう因縁話めいた経緯があって、運動公園とTDSの駐車場の話が出てくるのである。 議会に相談もなしで、市当局が今度はすんなりと割譲を認めたことがおかしいというのである。 私は浦安の地に、ウオルト・ディズニーの夢が根付いたことは本当に良かったと思っているのだが、オリエンタルランド社の土地商法に関して、いつもきな臭い噂が付きまとうのが残念である。
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●坂本 互(さかもと わたる)
元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問 元タクシー問題懇談会会員 元イースタンモータス常務 株式会社システムオリジン顧問 東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在
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