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平成徒然草 - 坂本 互(さかもと わたる)

10稿 「靖国神社考」 2001.08.21

小泉さんは自民党の総裁選挙の時以来、たびたび『8月15日に靖国神社へ公式参拝』すると明言していた。過去の経緯から考えても、この問題は間違いなく外交問題に発展するということが判っていたのに、参議院選挙の間は主要政党はこの問題については知らぬ顔の半兵衛をきめこんだ。
 選挙は小泉教の念仏(構造改革)の大合唱に飲み込まれて、自民党の圧勝に終わった。とたんに、総理の靖国参拝問題が、毎日のようにマスコミを賑わすようになった。
 小泉総理が、虚心坦懐に熟慮思案した結果、13日に靖国神社に参拝したことで、この問題はすでに次の段階に入っている。
   靖国問題の底流には、憲法改正、戦争解釈、歴史教科書、近隣外交等の関連した重要問題があり、与党にも野党にも自党内で様々な意見の対立が見られる。
 総理の靖国参拝の是非を問う最近の世論調査では、調査機関によって全く違う結果が発表されている。意外なことに、若年層に参拝賛成者が多い。戦争を知らない世代にとって戦争は絵本の上の出来事にすぎず、靖国神社などは櫻の名所としか考えていない。
 そこで「総理の参拝? いいんじゃない。」という意見が多くなるのではないか。それに、「小泉さんだからなんでも許す」という、小泉旋風の影響がここでも働いていることは充分に考えられる。

 もしかすると、小泉総理は靖国神社問題を契機に、一気に関連する諸問題にけりをつける気なのではないかと心配になってきた。小泉さんには、是非構造改革を実現してもらはなくてはならない。その原動力となるのは支持率だけしかない。
 ところが選挙直後の世論調査では、内閣支持率は8%程下がっていた。今度の靖国問題で更に支持率が下がるようなことがあっては困るのである。問題の15日には、大勢の国会議員が集団で靖国神社に参拝する姿が放映されたが、その中には反対勢力と見なされていた人も多く、私にはこれは一種の誉め殺しではないかと思えるのである。

 太平洋戦争の戦争責任については、連合国による極東国際軍事法廷で一応の判決が出されたが、その後半世紀も経つのに日本人による総括は一度も行わていない。
 今や、人口の7割が戦後生まれとなっており、時代の証言者たるべき戦争体験者は皆年老いて語ろうとしない。戦争の犠牲者の記憶も薄れつつあり、その正確な数すら判らない状態である。
 ピュリッツアー賞を受けた『敗北を抱きしめて』の中でアメリカの歴史家ジョン・ダワー氏は「日本政府は、こうした悲惨な事柄については、事実を明言せずにすまそうとする傾向がある。」と指摘している。

 アジア諸国の間では近年、「君が代、日の丸」の法制化や歴史教科書問題に見られるように、日本国内のナショナリズムの勢いを警戒する声が多くなっている。
 米国の外交指導者層の代表的存在であるジョセフ・ナイ氏は、「すべての国は、経済力や軍事力のようなハードパワーのほかに、文化的、思想的な魅力といったソフトパワーを備えている。日本が過去の問題に取り組まず隣国との関係を悪化すれば、日本自身のソフトパワーを弱める。
 歴史教科書問題や靖国神社参拝は、日本自身の利益にならない。」といっている。閉塞感の高まった社会では、国民の間にナショナリズムの高まりが生まれ、思わぬ方向へ流されてしまうことがある。多くの場合このような傾向が、良い結果とならなかったことを歴史が教えている。

 日本にとって大事な問題だと、取り組んではみたものの、あまりに問題が大きすぎ、難しすぎて、締切日が過ぎても原稿が纏まらず悩んでいた。
 それを見て、「靖国神社のように深刻なテーマは、タクシーサイトのコラムには似合わない。もっと読んで楽しくなる話を書きなさい。」と娘に言われてしまった。まことに尤もで、私もそう思う。戦前、近くに住んでいたこともあって、靖国神社には子供の頃の思い入れがあったのである。お詫びのつもりでいくらか雅な話でこの稿の締め括りとする。

 明治2年(1869)東京招魂社を九段坂上に選んだのは、現在もその場所の中央に銅像として建っている陸軍の創始者大村益次郎だ。当初は戦争で荒れ果てた上野も候補地となったが、邪霊のさ迷う亡魂の地として退けられた。
 そこで、もと幕府の歩兵屯所跡跡の10万坪が選定された。当初は鳥居も無く、僅か1週間で建立された仮本宮がぽつんと建っていた。
 東京の人口は半分に減り、この社に賽する者は西各藩有志のみで、かえってこの社を蔑視するに至れりという状態からスタートしたのである。

 境内地の最初の整備は、神苑内への「ソメイヨシノ」の移植から始まった。この花は、江戸時代末期に染井村(現在の東京都豊島区駒込付近)の植木屋がつくり出した新品種である。維新の元勲木戸孝允が染井の別荘から移し植えさせたと云われている。
昔からあったヤマザクラにくらべて葉が出るまえに花が咲き、しかも花が沢山枝について美しいので観賞用として歓迎され、たちまち全国に流布した。
 気象庁が各地の櫻の開花基準に使用しているのは、この「ソメイヨシノ」であり、東京の開花予想を決める基準木は靖国神社にある。

 この招魂社の桜の満開風景は、はやくも明治5年春、三代広重の錦絵に登場した。
【如】とかけて招魂社での花見と解く。その心は?
これは、明治時代の謎々だが
その心は「よってくだんの上にある」であった。
昔の証文は『依而如件』(よって、くだんのごとし)という決り文句で終っていた。
「このように決めたので、これからはごちゃごちゃ文句を云うな」という意味であろう。この【如】が【件】(くだん)の上にあるので「酔って九段の上」と洒落たのである。

小泉総理も近隣諸国に対しては、「依って件の如し」とはいかなかったようである。


第9稿 「イチローフィーバー」 も読んでみる

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坂本 互(さかもと わたる)

元タクシーサイト代表取締役社長、現在タクシーサイト顧問
元タクシー問題懇談会会員
元イースタンモータス常務
株式会社システムオリジン顧問
東京におけるタクシー向けコンピュータシステムの草分け的存在

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