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団塊耕志録 - 清野 吉光(きよの よしみつ)

2稿 「うまれてはじめてのタクシー乗務」 2001.06.14

どんな仕事も初日は緊張するものだが、他人を自分の運転する車に乗せてお金を貰おうというタクシー乗務員の仕事にはドキドキする物があった。
それまで印刷屋の植字工や皮革産業の下働きなど肉体労働の経験ばかりで、直接客に接し、現金を扱うという仕事はした事がなかった。はたして自分にできるかと不安ではあったが、とにかくやるしかない。
 1976年4月13日、26歳の自分は待ちに待った2種免許の交付を受け、会社に出社した。自分が勤めた清水市内のタクシー会社では乗務員の勤務の締めが20日締めで、半端な日にちだったので、20日までは教育期間という事になった。通常の勤務サイクルにははいらず、日勤で、時間もフリーであった。
後で知った事だが、タクシーには新人研修が5日位義務付けられているのだが、そのタクシー会社では運行管理者である社長の息子が、出社した自分をタクシーの助手席に乗せ、メータ機の操作を教えた後、清水市内を一回りして、それで新人研修はすべて終わりだった。時間にしてナント1時間!。当時この会社が教育記録を作っていたかどうかわからないが、随分あっさりしていたし、また自分も不思議にも思わなかった。むしろ緊張しながらも、これで金を稼げると、喜び勇んで街に出発をしたものだった。

しかしどんな乗務員も最初はそうなのか、それとも自分がとりわけドジなのか良くわからないが、早速いくつかの失敗をやらかした。ひとつは自動ドアになれず、お客さんが降りた後、ドアを閉めずにスタートしてしまった事である。
日本のタクシーの自動ドアは世界でもまれのサービスと聞いているが、気が動転して、慌てた時など、ツイドアを閉めずにスタートしがちである(そんな事はないと反論されそうだが)。それを早速やってしまったのだ。幸い事故にはならかったがヒヤヒヤものであった。

もう一つは後でも何回も経験した事だが、お客さんを下ろすときメータを支払いにして、お金を貰うのだが、その後に空車メータにせずに発進してしまった事である。
慣れてくればすぐ気が付いて被害は少ないのだが、何せ始めての乗務で気が付かない!何かカシャカシャ音がするなとふとメータ機の方を見るとしっかり数字が上がっているではないか。アチャーやってしまった!当然にもこの分は自分の負担になるので、がっくり。ドット疲れが出てしまった。
その日は初日だから比較的短時間の乗務で、午前10時から午後8時くらいまで仕事をして100キロの走行キロ、50キロの実車キロ(お客さんを乗せて走ったキロ数)で営業回数が17回、爾後回数38回、お迎えが3回で8700円の売上でチップは810円であった。初乗り310円の時代とは言え、まことにささやかな稼ぎだが、体の疲労は激しかった。目の疲れからくる頭痛、それに持病の痔が痛くて、はたしてこれでやっていけるのだろうかと正直思ったし、先も思いやられた。しかし、何事も慣れというものは恐ろしい(すばらしい?)もので、自然と体と生活のリズムが徐々にタクシー向けに出来上がっていくのである。とにもかくにも、こうして3年間の自分のタクシーの〔運チャン〕生活は始まったのである。


第3稿 「チップは嬉しい!」 も読んでみる

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清野 吉光(きよの よしみつ)

1950年 長野県四賀村生まれ
1968年 上智大学外国学部ロシア語科入学
1971年 上智大学中退。印刷関係、皮革関係など様々な職業に従事
1976年 清水市の日の丸交通入社
1979年 清水市内の学習塾教師(英語担当)
1980年 静岡市内の(株)事務機器センター入社
1982年 (株)システムオリジンを仲間と創業。専務取締役
1992年 代表取締役社長就任
2000年 株式会社タクシーサイト・ドット・コム常務取締役就任
2003年 株式会社タクシーサイト代表取締役社長就任

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