四月二十三日午後二時。四月十八日(日)から訪問していた広州から空路で上海に移動、市内のホテル(ホリデイ・イン)でパソコンに向かってこのリポートを書いている。 このホテルでは部屋にLANの環境があり、メールはもちろん、静岡の本社のサーバーにアクセスができ、会社の日報も普通に読める。インターネットの環境は仕事の世界とスタイルを随分変えてしまう。この快適なホテルの部屋にいる限りはここが東京から二千キロ近く離れた中国である事をすっかり忘れてしまう。 しかし、中国は巨大な国であり、多様・多彩な国である。今回、広州市の交通委員会と国営のタクシー会社で白雲タクシー(二千四百両、市内トップ)と広州交通集団(千六百八十両、市内で二番目)を訪問し、【最先端を欲する国】のタクシー業界の現実を目の当たりにした。 そもそも今回の訪中のきっかけは弊社のパートナーの1社である株式会社セイデン様からお話を頂いたからである。セイデン様の中国の提携先であるソフトハウスの社長(中国の国費留学生で在日八年、日本の大学の講師を勤めていた)が帰国し、事業を創業し、その人脈の中で、タクシーを許可、管理する広州市交通委員会との接点ができ、引き合いを頂いたからである。 現在、広州市内のタクシー台数は一万八千両に及ぶが百社の法人しかない。さらに市当局は小規模会社(百台以下)の合併、再編を推し進めようとしている。しかし、車両は乗務員自身が自分で買取り、会社に分割払い、一定の権利料や領収書の用紙など、必要な経費を除き、営業収入はすべて乗務員のものになる。日本の所謂リース方式の上を行っている。したがって乗務員は日報をつけないし、会社側も、売上げも走行キロも実車率も把握していないし、知る必要もない。究極の権利ビジネスと言えなくもない。 実は広州のタクシーの歴史は新しい。一九八一年に初めて香港資本と合弁で外国人向けに二社、二百五十台のタクシー会社が誕生した。その時は香港のタクシー会社の仕組みを取り入れ、基本給+歩合の日本のAB型に近い物のようであった。それが改革、開放の経済発展のお陰で急速に需要が伸び、乗務員の管理ができなくなり、月々乗務員に使用料を払わせるリース方式になり、さらに乗務員の要望もあり、一九八六年ころから車の買取り方式になったようだ。 この究極の方式は公共交通機関の側面を持つタクシー事業と矛盾するところがあるようで、市交通委員会当局もこれで良いと思っている訳ではない。二〇〇四年一月に第一期、三千両のGPSによる車両管理の仕組みを大々的にスタートさせた。 しかし、今NASAのロケット打ち上げセンターのような立派なコールセンターは残念ながら機能せずに閑古鳥が鳴いている。それは何故か?(第2稿に続く)
このコラムはタクシー専門情報紙「タクシージャパン」2004年5月15日号に掲載された「清野吉光特別寄稿 中国TAXIリポート」から、特別に転載の許可を頂いたものです。 タクシー専門情報紙「タクシージャパン」ホームページはこちら
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●清野 吉光(きよの よしみつ)
1950年 長野県四賀村生まれ 1968年 上智大学外国学部ロシア語科入学 1971年 上智大学中退。印刷関係、皮革関係など様々な職業に従事 1976年 清水市の日の丸交通入社 1979年 清水市内の学習塾教師(英語担当) 1980年 静岡市内の(株)事務機器センター入社 1982年 (株)システムオリジンを仲間と創業。専務取締役 1992年 代表取締役社長就任 2000年 株式会社タクシーサイト・ドット・コム常務取締役就任 2003年 株式会社タクシーサイト代表取締役社長就任
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